だと私は思っている。そうしようとする女性活動を尊重するし、協力すべきだと考え、できるところで協力している。
しかし、その結果、
これは容認できない。
容認できないとは何様だ、こっちは男性の権利が女性を超えているのが容認できないんじゃ。と女性の皆様は思うかもしれない。思うだろう。
上で書いたが是正すべきだと思うし協力すべきだと思う。
だが突き詰めると私は男性であって、女性のことは他人事である。
理屈のうえで「是正すべきだ」とは考えても、「容認できぬ」とまで強く感情的には思えていない。
一方で女性の権利が男性をイコールよりも上に超えることに関しては、理屈のうえでもダメだと思いながら、かつ「容認できぬ」と強く感情的にも思う。
まとめると、理屈のうえでは男性が女性を上回ることも女性が男性を上回ることも等しくダメだと考え、さらに私個人が男性であるので後者については感情も乗って反発する。ということだ。
この世界が、あるいは日本が現在、男性優位なのは自覚している。
一方で、限定的な状況下では女性優位な面があるのも経験している。
たとえば寡婦年金や女性優先車両、レディースデイといった大小の制度的なものから、結婚・離婚の場面での女性優位な構造。あるいはもっと言えば男性が女性をエスコートするとか重いものを持つとかデート代を奢るといったような精神規範的なもの。
私が言いたいことを伝わりやすくするために非常に矮小化して話すと以下のようなことになる。
「女の子たるものお淑やかであれ。男の子を立てて一歩引いていなさい」という教育が古いものとされ、排除される。それはいい。
だがその一方で「男の子たるもの強くあれ。女の子を助けなさい」という規範が排除されていなければどうか。
はっきり言うと、「女は男を立てるべき」規範と、「男は女を助けるべき」規範が同居する社会は、男女不平等ではないと考えている。
そのどちらの規範も存在しない社会も、もちろん男女平等であると考える。
女性のみなさんが女性運動により前者の規範を消そうと努力するのであれば、それは容認するけれども、同時に男性からのカウンターとして男性運動をして後者の規範を消しにかからなければならない。そうでなければ結果男性が不利に立たされるからだ。
私は社会の中である領域では男性優位で、ある領域では女性優位という不均衡はあってよいと考えている。
たとえば鳶職には男性が圧倒的に多い。これは男女の力の差から仕方の無いことだ。一方で女性が鳶職になりたいと思えばなることができる。これが重要である。
管理職の問題も同じだと考えている。女性が管理職に就きたいと思えば、男性とちょうどおなじなりやすさで、なることができる。こうであるのが理想で、そうであるためにあらゆる構造を変えなければならないと思う。
しかし、女性の管理職の数が少ないからといって女性の昇進しやすさを男性より上にするというのであれば、それは看過できない。強く、強く、強く反対し、もし自分が決定に関与できる立場であるならば、やめさせるだろう。
「まず踏んでいる足をどけろ」
これは本当に本当に真っ当な言葉だ。そうすべきだと思う。
私も、自分が踏んでいる足に気付いた場合、どけるようにしている。
しかし男性の右足が女性の左足を踏んでいる一方で、女性の右足は男性の左足を踏んでいるという状況も私はあるように感じる。
その場合、男性のみがその足をどければ今度は男性だけが女性に踏まれている状態となるのだ。
「女性は自分たちで活動して男性の足をどけるのを実現させてきたのだから、男性もそうしろ」
と言うのであれば、仰る通り、そうさせてもらう。
と言うのであれば、女性にも男性を踏んでいる足をどけることに主体的に協力いただく。
と言うのであれば、「ある」と主張させてもらう。
男って時点で男女問題について口出しする権利は無いぞ 差別してきた側の人間だからな
わかった! お口チャックしとく🤐
でも女は下方婚してないからなあ
増田は、男女不平等の解消・男女同権というのが、権利をどちらが多く有するかせめぎ合うゼロサムゲームのように捉えていないか? 社会全体における均衡点としての50:50がどこかで見...
女の活動が活発になって、男はんの領域に踏み込んだおかげで 男はんがギズギズした軟弱者にならはってんなぁ。お気の毒にw