たまに考えては、何度も迷っている。
30歳を前にする今となっては記憶も朧げだが、幼少期を母と2人で過ごし、小学校入学前に突然遠くに引っ越し、今の父も一緒に生活するようになった。
引っ越すまで近くに住む祖父母、伯父伯母、従兄弟と過ごしていたので父親がいないことに疑問はなかったし、最初は突然できた父親とギクシャクはありつつも、疑問はなかった。
小学1年生の遠足で、これまで父親を知らなかったことを一緒に歩く6年生に話し、「それはおかしい」と言われたことを、今でもはっきりと覚えている。
自分の家族はおかしいのかな?としばらく考えていたけど、これは考えてはいけないことなのだと封印したのだったと思う。
中高生になるとさすがに事情を察し、何か話しづらいことがあるんだと感じていた。
この話題には触れずに過ごしてきた。
大学に入学し一人暮らしを始め、奨学金の申請をすることになった。 (ありがたいことに、この奨学金には一切手を付けることなく、大学卒業時に全て返すことができ、両親に対して感謝しかない)
母からの電話で、「必要書類を送った。その中の住民票を見ると、今の父の養子という記載がある。20歳になってから話そうと思っていたが事情が変わったので、住民票を見る前に今話しておきたい。」と私が生まれる前後の話をされた。
詳細は割愛するが、血の繋がる父とは私が1歳になった頃に離婚し、それ以降連絡を取っていない、所在もわからないとのことだった。
それから少し時間が流れ、私が20歳になる少し前、血の繋がった父を探してもいいんじゃないかと思い立ち、戸籍謄本を辿ってみることにした。
まず帰省に合わせて本籍地で戸籍謄本を取り、たしかに転入元は幼少期を過ごした地であることがわかった。
幸い、一人暮らし先からその場所へ行ける距離だったので、すぐに転出届を確認しに行った。
そこで血の繋がりのある父親の名前、さらに前の転入元がわかった。
名前から辿るのは難しいだろうと判断し、離れた地である転入元に行ってみることにした。
住所まで行ってみたが、かなり山奥で畑しかない地だった。
転出元を管理する役所は統廃合がありつつも、辿り着くことができた。
役所の方に事情を説明し、可能であればここでわかる範囲の父の情報を知りたいと伝えた。
現在住んでいるかはここでは調べられないが、父の転出先の情報を教えてもらうことができた。 (かなり時間がかかったが、探すことに時間がかかったのか、情報を私に提供していいかの判断に時間がかかったのかはわからない)
後になって考えてみると、今の私とは戸籍上の関係がない人の情報を渡すのは不味かったのではと思うが、当時の私はここで手がかりが途切れるかどうかだったので、助かった。
血の繋がる父は、私の住む場所からそう遠くはない場所にいるかもしれないことがわかった。
探索は一旦ここで止まって10年ほど経った。
血の繋がる父親の存在が近づいてきて、ここから先に進んでいいものか決めきれずに、時間が過ぎてしまった。
私は社会人になり、現在の住まいも大学生の頃の場所からは遠く離れてしまった。
この10年で父が転出した可能性もあるし、そもそも生きているのかもわからない。
今となっては、また調べることは難しいかもしれない。
私も子供から大人になり、幼少期を1人で育ててくれた母、他の兄弟と分け隔てなく接してくれた育ての父に対して、素直に感謝できるようになった。
同時に、全く記憶にない血の繋がりに今更会ったところでどうするんだという気持ちもある。
そして、何かが変わってしまうのではないかという怖さが一番大きい。
会っても何かしら後悔するかもしれないし、会わなくてもきっとどこかで後悔すると思うと、停滞を選んでいる。
いつか向き合うことはできるだろうか。
あー同じような状況… ぼくも父の顔を知らない。母からも詳しいことは何も聞いていない。父が母を捨てたのかも、母が父を見限ったのかも、知らない。 パスポートの申請で戸籍謄本を...