小学生の頃、夏はお下がりのTシャツ2枚で着回しててぼろぼろのクタクタだった。コートは持ってなかった。
高校生の頃友達とマックに行っても水しか飲めなかった(小遣いは文具や衣服含めて3000円ポッキリで、足りなかった)。制服はお下がりでぼたんが明らかにボロかった。スカートも穴空いてた。
大学は家から離れていたが交通費が出せず入試から卒業まで、親が来ることはなく1人だった。
大学生活は格安の寮、授業料は全額免除で奨学金とアルバイトで暮らしていた。
卵と牛乳が入ってない水だけホットケーキ(ホケミはすごい)、具が納豆だけやキャベツだけのパスタ、肉が申し訳程度しか入ってないめんつゆ鍋などを食べて過ごした。今でもそれらを食べると思い出して泣ける。
親を恨んではいないしむしろ感謝しているが、とにかく貧乏が嫌で嫌で就職は給料を優先した。
しかし運が良く、やりがいはありブラックでもなく楽しい。結果的には就職についてはよい選択だった。
出社時の昼食では外食やコンビニ飯を躊躇いなく買うし、弁当を一切作らない。
自炊は自炊が目的になっているときだけやる。(作りたいレシピがあるとか料理してストレス発散したいとか)
ハーゲンダッツも値引きされてないパック寿司(うにが乗ってて800円くらいのやつ)も買うことを全く躊躇わない。ハーゲンはもはやご褒美でもなんでもない、常用アイスと化した。
ラップやシャンプー、洗剤、家具家電など日用品のあらゆるものを大学の時は最安値か一つ上で揃えていたのに今やサランラップを200円くらいで普通に買うし、&honeyのシャンプーリンスを使っているし、洗濯機もハイアールからドラム式に変えてしまった。ない袖が触れなかった時とは大違いで「ラップって安いのは結局ダメだよね」とか言える側になってしまった。
家具家電を買う時の楽天Amazonヤフショメルカリジモティーとのにらめっこもだいぶ減った。
色々考えるのがめんどいからとSpotifyやicloudにも課金している。
でも、自身が不健康になったり子供ができて想定外にお金がかかったり夫が病気になったり死んだり身内から金を吸い取られたり(現にその気配がある)したらまた大学時代の貧乏生活をしなければいけないかもしれない。
ハーゲンダッツを知ってしまったのに、チューペットで満足できる自信がない。
そうなったら毎日、いや毎食毎時不満を持ちながら暮らすことになりかねないから、人生の幸福度の観点では、貧乏の価値観のままの方が幸せだったのだろうか。
この間はコーヒーの粉をスーパーの100円/100gのものから引き立てマイルドカルディ(250円/100g)に変えてしまった。うまいけど、めちゃくちゃうまいけど罪悪感が半端ない。
なぜこんなことを書いたかというと、インスタのお金系アカウントや子持ちのTwitterの皆さんが「自分へのご褒美にアイス食べちゃいました!(スーパーカップ)」とか「(なんか大変なことがあったので)旦那にお菓子買ってもらいました!嬉しい😆(チョコパイ)」みたいな投稿をしているのが多々目に入りまして、今の自分の価値観と大いに異なっており、今の価値観の方が身の丈に合っていないと思ったためです。
他方Twitterでは同僚が頻繁にお取り寄せグルメや旅行を楽しんでいたりする。私の身の丈はどこなんだろう。ただの貧乏性なんだろうか。見ている子持ちアカウントが特に貧乏なんだろうか。何も分からない。
小さい頃から頑張ってきたんだから今ちょっと贅沢してもいいじゃん。 ドラム式で浮いた時間で勉強したりうまいアイス食べながら休憩したりしてキャリアを積んで、多少貯金と投資で...