2021-06-16

「本の解釈に正解はない」みたいに教えるのやめろ

日本語というか言語全般の話になってるかもしれないけど何で学校先生は「本の解釈には正解がない」みたいに教えるんだろうか。問題として出してるとき正誤を出すことに対しては苦しい理由をつけるくせに、自分で読むとき自由に読みなさいとか言っちゃう

だったら全ての場面において「文章には一定解釈がある」と教える方がまだ筋が通ってるし合理的だと思うんだよね。

現状の教育から一部の人間は話し言葉もまた文章を読み上げたようなものに過ぎないか解釈には答えがないんだとか思い込んじゃって、あらゆる会話は自分に都合のいいように受け取ってしまう無敵くんになったりする。

対話を求めてどんなに問い返しても論破志向した天邪鬼解釈で逆ねじを食わせるばかりの人間になってしまう。また、マスクをつける意義を唱えられたら「こいつらは自分達の利権のために真実とは正反対のことを言ってる」などと妄想するような陰謀論者になったりする人が出てきちゃうんだよ。

かに言葉解釈が一つに定まらない状況もあるが、それだってまずセンテンスとして一義的に定まる部分があって、そこから枝分かれするように生じるようなものだ。

文学とかでよく言外の意味とか言われるようなものあくまで本義に照らされた影の、蜃気楼にも似た不明瞭な「ふち」ようなものであって、その本義を担っている話されたり書かれたりした言葉のもの真実性を疑ったり無秩序解釈したりするようでは、影の見え方そのものが変わってしまう。

そもそも言語意思伝達のためにあるのだから、あらゆる場面で無秩序解釈をしてよいというなら何のために言語存在するのか。

自然科学学術書も、地の文自然言語構成されているからといって自由解釈してよいという態度で読まれては用をなさなくなるのは言うまでもないし、そういう人間は何を読んでも、つまりどんな情報を与えられてもそれとは全く無関係思考を走らせるだけなのだから小説を与えられる価値もない。材料があってもなくても同じように思考するのだから、一人で死ぬまで妄想してればいいだけだ。

なんでも自由解釈していいと教えるのではなくて、そうでない場面もあるからそれを見極めよという、読み方の切り替えの重要さこそを教えるべき。

ネット議論以前に会話が成り立たないのはだいたい学校のせい

  • 増田は自分自身が、批判しているものと同質なことに気づいていないのでは?

  • そんな教え初めて知った。学校のテストでは間違った解釈をすると点数が取れないはずだけど、あんたが通ってきた学校はよほど特殊な事情があったんだろうな

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