私はずっとそう思っている。悪意や独占欲、ずっと無料で見たいと言う乞食なわけじゃない。むしろ、既に内容を知っていても商業で出された物をもう一度買うタイプだ。感想も送るし、割と積極的なタイプのオタクだと思う。
では、なぜ好きな作家に商業に行って欲しくないかと言うと、商業に行ってそのまま自分のサイトやSNS等を更新しなくなり、フェードアウトしてしまう作家がそこそこいるからだ。
私がいくら応援しても、消える時は消えてしまう、でもそれは仕方がないことだと思う。そもそも商業でいつまでも作品を出し続けられる人間の方が少なく、大半は数年の内に消えてしまう。作品が売れない、作品の質が落ちる、生活環境の変化など、理由は様々だ。だが、私が応援していて一番辛くなる理由は、“現実を知ってしまったから“という理由だ。もちろん、作家自身が「現実を知ったから引退します。」なんて言う事はほぼない。大体が、売れないことを仄めかして、フェードアウトする。
私の好きになる作家は全員が全員超一流というわけではない。そして、わりとニッチな作品の作家を好きになる事が多い。
局所的に需要のある作品は多少の下手さがあっても、飢えている一部の消費者から熱烈に支持される。すると、金の匂いを嗅ぎつけて商業化のオファーが来る。作家は嬉々としてこれを受ける。
しかし、思ったより売れない。
これは何も不思議な事ではない。だって、元々大衆向けには作っていなかったものを、商売として出すのだから、そうなる。ニッチな作品がなぜニッチであるかの理由を考えるべきだ。それは、消費者の多くが必要としていないからに他ならない。
作品が売れなければ、次はない。
連載であれば2巻で打ち切りになるし、短編であれば次作が出ないだけ、音楽アーティストだって同じ、作品が売れなかったら引退するのは普通のことだ。
だけど、でも、つい、商業に行かなかったら、と考えてしまう。書籍化なんてしなければ、この続きが見れたかもしれないのに。メジャーデビューなんてしなければ次の曲が聞けたかもしれないのに。
商業は甘い蜜だと思う。素人が金銭の発生する仕事として依頼を受けた時の高揚は替え難いものがある。自分の作品にはそれだけの価値があるのだと。
でも、その分落胆も大きい。失敗すれば、自分はこの程度の人間であると数字で見せつけられる事になる。
私は学生の間にクリエイターの道を諦めたが、大人になってからこの現実を突きつけられるのが怖くてやめた。
結局のところ、ずっと商業化せず続けて欲しいなんて私のわがままでしかないことは分かっている。商業に行かなければ作品を作り続けてくれていたかもなんて、私の妄想でしかなく、商業に行かなくても筆を折る人はどこかで折る運命なのだ。
自分の好きな作家に向かって、「あなたは商業だと成功しないと思うのでいつまでもここで作り続けてください!」なんて、口が裂けても言えない。私はそこまでヤバいやつじゃない。