昔々、どのくらい昔かっていうと、フォークが二又しかなかった時代。
この頃のフォークは使い勝手が悪く、上流階級の人々すら未だ手づかみが基本だった。
育ちのいい奴等ですらそんな具合だから、庶民の慣れ親しむスパゲティは言うまでない。
もちろんフォークなんて縁のないものだし、四又に改良して食べやすくしようなんて発想自体ない。
今ある形へと発展を遂げ、食器として磐石なる地位を得るには長い年月と潮流が必要だったんだ。
価値観のアップデートが行われ、紆余曲折を経て、フォークはより便利な食器として進化していったのである。
その理由は様々だが、“より行儀良く食べるため”という背景があったことは確かだろう。
“食器のあり方と作法”は、ナイフで切っても切り離せない関係といえよう。
いや、より厳密に言えば“使わない方がいい”というべきか。
俺たちの国で使われるニホンの棒。
そう、箸だ。
紆余曲折あるフォークとは違って、箸の姿形は代わり映えしない。
最初からほぼ完成されている、と前向きに解釈することも出来るだろう。
それで長年、口へ食べ物を運ぶ橋渡し役を担っていたのだから大したもんだ。
実際、この細長い棒は多機能だ。
幅を自在に調節して食べ物を挟みこんだり、適当な大きさに切り崩すこともできる。
ちょっとした調理器具として利用もでき、素材を混ぜたり、料理を取り分けたりといった使い方もある。
大体の食事は何とかできる、非常に汎用性のある食器といえるだろう。
まず、持ち方からして厄介だ。
一本目(上側)の箸は鉛筆と同じ要領で、親指と人差し指と中指で持つ。
二本目(下側)の箸は親指の付け根あたりで挟みつつ、薬指をあてて固定する。
このとき、箸先がピッタリ合っているのが肝要だ。
後は下の箸を動かさないようにしつつ、上の箸だけ動かせばいい。
これで小さい豆を易々と掴めるようになれば一人前である。
……ハンバーガーの“逆まわし開け”みたいな説明になってしまったが、言い訳させてくれ。
実際、箸を正確に持てている人は本場でも多くないんだよ。
そして箸の機能上、この問題はフォークみたく本数を増やすことでは解決できない。
にも拘わらず“食器のあり方と作法”ってヤツを、俺たちは箸を使う時にも意識しなければならない。
ある意味、箸の持ち方より厄介な点は“こっち”だと思う。
これから話す『箸にまつわる出来事』も、ひどく単純で複雑だったといえよう。
≪ 前 今にして思えば、きっかけは何気ないものだ。 よく連れ立つ仲間達と、自宅で軽い昼食を摂っている時だった。 「袋麺を作るだけで、妙に自信満々だった時点で怪しく思うべき...
≪ 前 「音を立てるほど勢いよく啜るのは、麺に汁が絡んだ状態で口に運ぶためだ。物事には理由がある。その理由を無視して、従来のやり方を抑え込む方が愚かだ」 「えー、でもそれ...
≪ 前 「この持ち方が正しいのは箸が食べ物を掴む食器としての役割があるからだ。その持ち方で支障ないって言ってるが、それじゃあゴマや小豆をつまめないだろ」 「そのあたりは掬...
≪ 前 そして結局の所は、俺自身この件について心根ではどうでもいいと思っていたりする。 どうせ、このやり取りも今日だけで終わるんだ。 よくある仲間内での些細な諍い、日常茶...
≪ 前 そして、これも弟たちだけの話では終わらない。 このやり取りを学級内でやっているということは、教員達の耳にも必然的に届いた。 つまり、今度は教員の間で箸の持ち方談義...
≪ 前 こうして、弟の学校で箸の持ち方が徹底的に教えられることに。 「まず、一本目の箸を鉛筆を持つ時みたいにして。この部分が動かないよう固定させるのがベスト」 「鉛筆の持...
≪ 前 この授業での様子は市内の新聞でも取り上げられた。 俺はそのことを、行きつけの喫茶店で知った。 まさか、あの時の会話を弟が聞いていたのかと推理したのも、この時になっ...
≪ 前 箸の持ち方を授業で徹底的に教えるというニュースは市内に轟き、そして他の学校も見切り発車気味に真似しだしたんだ。 そして広がりを見せると授業内容は最適化されていき、...
≪ 前 「市長、こちらの書類にサインと判を」 「はー、やれやれ。ある意味で尤も重要なのに、尤も簡単な仕事なんですよね。政治システムのバグだと思うんですよ。放置せずデバッグ...
≪ 前 この場における、市長の認可は通例的なものにすぎなかった。 既に各役所で審査は終わっており、市長の考えうる懸案事項は通過済みだからだ。 市長が七面倒な人格者でも町が...