よく「着る服に無頓着なオタク」として語られがちな人々というのが、実際には決して「ファッションに無頓着」なわけではなく、マジョリティとは異なる形でgender expressionを捉え、ファッションを生産・消費してきたのではないか? という問題意識をいい加減共有してもらいたいんだよなぁ。
宇崎ちゃんの献血ポスター的なものというのは、その意味でのgender expressionとして機能しうるものの一つではないのか? という問について真面目に考えて欲しいんだよなぁ。
ポルノ的な要素・消費のされ方が完全に0とまでは言わないが、全てはスペクトラムであって、いい加減100%ポルノ扱いすること自体がそもそもフィクトセクシュアル・フィクトジェンダーに対する差別意識そのものだとも気づいて欲しいけど。宇崎ちゃんの献血ポスターに関しては言えば9割がた「ポルノ以外」の要素が占めてるだろうと、フィクトセクシュアル当事者の感覚としては思うよ。(ナラティブなのでエビデンスはない。)