2021-03-21

有能な学者が有能な指導教官ではない可能

結論から書く。

大学どこにしよう」とか「院はどうしよう」とかい人間よ、(もう時期的に手遅れだが)研究分野が合致してるかは二の次で“いい人”を選べ。

“いい人”についたら「大体近いね~」くらいの分野なら修論は何とかなる。

友人とは学部時代出会って以来5年の付き合いになる。

私も友人も、同じ大学学部→院と進学した所謂生え抜きだが、そうなった経過は全然違う。

私は高校生の時から興味のある学部や分野をリサーチして、学びたい先生を見つけて…みたいなことは一切していない。

地元国立大学進学が名誉地域において地元国立大学受験し、合格し、一番興味に近く、自由度が高そうでいい人そうな先生ゼミに入った。

進学は「働くくらいなら勉強したほうがマシ」だから選んだし、院で他大学受験するような七面倒なことは嫌だから内部進学しただけだ。

しかし、指導教官は有能かついい人だった。

学部時代から愚痴をこぼしながらも私の関心どころを勉強してくれ、今では私を追い越してしまった。

一方で有能な友人は高校生の時から興味のある学部や分野をリサーチして、学びたい有能な学者を見つけ、その学者めがけて進学した。

学部時代から「あの先生なんかやっぱちょっと変だよ」と感づかれるようなイカニモ先生だったんだが、友人はあこがれのままに院でもその学者に付いた。

そして現在人格的には優れていなかった学者あらた指導教官にこき使われて潰れそうになっている。

友人をこき使うのは指導教官だけではなく、無能な同期(私含む)や事務方までも友人の有能さを搾取している。

私と同じくらい指導してもらえてたり、苦労を分かち合える同じ研究室の友人に出会っていたりということはない。

有能な学者は有能な指導教官ではないかもしれず、友人の指導教官ドンピシャだった。

この友人にも問題がないわけではないんだ。

無能だと思われることを過度に恐れて仕事を断れないし、全部10割以上の出来にしないと満足できないので倒れるまで仕事をする。

しかもなぜか絶対に同期に助けを求めないし、仕事を割り振らない。

友人を研究に専念させたら主要雑誌に年に三本通るだろうと素人目ながら思う。

でも友人には三本も論文を書く暇がない。

新入生のお世話、自分には関係ない実験準備、会議出席の依頼メール、はては色恋沙汰や喧嘩仲介まですべて友人に降りかかっているからだ。

私は友人がこれらに追われていた一年で一本の論文投稿と二回の発表を終えた。

無能だが、時間さえあればこの程度の成果は上げられる。

「やっぱりどの先生に学びたいかだよ」っていう人は、多分研究にも人格的にも優れた教員に当ったんだろう。いいことだ。

でもせめて学部時代に「この先生ちょっとなんか違うな」と思ったら院では別のところに行け。

生え抜きの私が言うのもなんだが、わかっている地獄に飛び込むのは生きるのがへたくそ

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