数年前に関東に引っ越してきてから、3月11日に少しの孤独を感じるようになった
毎年この日が来る度に、周りの人間は当時の自分を振り返り、震災に対する想いを口にする
私には語れるほどのものは何もない
地震のあった日もその後も、私は普通に仕事をし、普通に生活を続けた
私の他にも数百人が働くオフィスでは、毎年黙祷のためにアナウンスが流されていたから
大変な思いをした人がたくさんいると思う
そんななか、私は毎年、中途半端な気持ちを抱えながら黙禱を捧げた
職場の女性が「子供服ならもう着れないのが捨てるほど余ってるから、送ってあげたいわ」と有難迷惑なことを言っていたのを聞いて
「物資が足らないってのは、ゴミでも喜んで受け取りますって意味じゃないですよ」と嫌味を言った覚えがある
当時から、東日本に数人の友人がいたので、被災しなかった私たちが出来ること、すべきことを、できる範囲で実行した
用が無ければ彼等に連絡するのは控えよう、とか
被災地全員にはムリだが家族分の米くらいなら送れるからいつでも言ってくれ、とか
私の出来る範囲ってその程度だったと思う
だから、私には本当に、当時のことで語れることが何もない
今、周りの人たちが当時のことを振り返り
そういうのも何もない
ニュースで当時の映像を見ても、それは私の現実から離れた現実だった
そうだと思う
私は毎年、あの日の事を思いながら、震災は私に何の爪痕も遺さなかったと思うし
それなのに、TVから流れる様々な映像や、被災者の声で、存在しない被災した記憶を植え付けられているなと思う
当時の夫に寄り添えないまま、私は、当時の誰にも寄り添えないまま
孤独感を味わいながら毎年この日を迎える