2021-02-14

男の戦闘性をめぐって

 男というのは女性と比べれば明らかに戦闘である

 戦闘性、あるいは戦闘という行動を説明するのは案外難しいのだけれど、簡単に言えば「格付けチェック」だ。他者自分の「格付け」を再定義する行為のことをここでは戦闘と呼ばせてもらう。そのような戦闘においては、二人以上の人間が実力を競い合い、お互いの「格付け」を行う。勝利した者は、本来そうであると見られていた格付けより上方修正され、また、負けた者は本来の格付けよりも下方修正される。そんな具合に行われる連綿たる「格付けチェック」に男性は巻き込まれている。あるいは自分自身を「格付けチェック」の中に巻き込んでいる。それが、男が「戦闘的」であると言われる所以なのである


 このように書くと、男性が知性において欠陥を抱えた存在であるという印象を抱かせるかもしれないが、そうではない。この男性が巻き込まれ、かつ自身を巻き込んでいる「戦闘性」というものは、人間を問わず生命全般にセットされた、合理的ポジティブな側面を備えたシステムと言っても良い。

 例えば、この「格付け」は適材適所発見プロセスという一面を持っている。ある分野において能力的に劣ると「格付け」された人はそのレースから外れ、また、別の分野において能力的に優れていると「格付け」された場合はその分野に参入し、実力を振るう。そのような適材適所発見は「格付け」が行われることによって初めて可能になる。これは明らかに「格付け」の良い点である。このようなプロセスにおいては、上手くいけば実力を発揮できる分野の発見可能になる。

 また、この戦闘性――「格付けチェック」に積極的自身を巻き込んでいく性質――によって男性はお互いの「実力」に敏感になる。つまり相手がある分野において自分より優れているか、それとも劣っているか、といった点に敏感になるのであり、これは男性がある種の観察力に優れていることを意味している。これもまた戦闘性のポジティブな一側面と言って良いだろう。本当の意味相手が実力を持っているのか? 一定の実現力を備えた存在なのか? ある種の判断能力が鋭敏なのか? その判断に従うことは有益なのか? そのような損得を含んだ様々な要素について男性本能的に、あるいは理性的推し量ることができる。そして、それはあくまで「格付けチェック」、つまり戦闘性に基づく適材適所能力発見といったプロセスにおいて導かれるものなのだ。そのような意味で、やはり、この「格付けチェック」は複数ポジティブな側面を含んでいるだろう。


 とは言え、このシステムには良い点ばかりが含まれているわけではなく、男性弱者排斥し、その排斥するという行為に基づいて「格付け」を行う場合がある。いわゆるイジメ行為がこれに当たる。そのような意味での実力の誇示や、あるいは弱者排斥という営みは決して健全な代物ではない。あるいは、「格付けチェック」においては必ずしも実力のある人間コミュニティの中でイニシアチブを握るということを意味しておらず、メタに「『格付けチェック』において生き残れる能力」というナンセンス特性を持った人間のみが、権勢を振るうこともある。そういう意味で、この「戦闘性」、あるいは「格付けチェック」は優れた点のみを備えたシステムではないし、決して万能というわけでもない。それも確かなことではある。

 とは言え、我々においてこの「格付けチェック」が必要なのは、先に述べたポジティブな側面を鑑みても明らかである。また、そのような「格付けチェック」に比較的傾倒しやす性質、つまりは「戦闘性」というものも、同様の理由で、この社会からオミットされては不都合ものですらある。


 戦闘殆ど男性において人生の終局近くまで続いていく。その連綿たる流れから逃れることはまずできないし、仮にできたところでその時には「敗残者」のレッテルを男女双方から貼られることになる。だから男は努力するのである。連綿たる格付けチェックの中で、男性は自らの戦闘性を磨き上げ、また、戦闘におけるある種の「持続可能性」を養っていく。すなわち「戦い続けること」、さらには「よりよく戦い続けること」を男は選択するのである。そこに憐れみを覚え、理性の欠如を覚える人も多くいるだろうが、繰り返すようにそこにはポジティブな側面もまた存在している。

 戦い続けることは基本的に難しいことである。頑張り過ぎてもいけないし、頑張らなさ過ぎても脱落する。その八方塞がりを打開する為に男性は多かれ少なかれ自己研鑽を行う。力を出しすぎないこと、最小限の力で期待以上の成果を上げること。それを持続的に可能にしていくこと。それらを男性は目指し、自己研鑽を続ける。そのような自己研鑽においては、自己疲弊させ過ぎないことが目指され、あるいは、逆説的に戦闘回避が目指される。つまり男性は優しくなりうるのである

 男性女性と比べて明らかに戦闘的ではあるものの、それは、自分以外の弱者を尽く打倒し、排斥することを意味しない。そんなことをすれば先に自分が疲れ果ててしまうからである。単純に戦い過ぎれば、人は疲れるからである。だから、時に男は戦闘回避するという選択肢を取り、より持続的に戦い続け、利益を得るための最適化不断に行い続ける。そのような営みにおいては、男性は時に自分以外の他者支援する。時に敵さえも生かし、味方を利するように働きかけもする。全ては持続的に、よりよく戦い続けるためである


 男性基本的女性よりも戦闘である。そこにはネガティブな側面が多く存在するものの、決してそればかりに終始するわけではない。

  • なんか社会学者は叩かれまくっているのに叩かれてる社会学者っぽい文章って全く廃れないよね

    • 社会学者が叩かれているのは お気持ち作文を客観性のある学問として持ち出す詐術であって お気持ち作文自体が悪いわけではないのだ

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