2021-02-06

「正しさ」にこだわり続けるのは止めた方が良いと思う。

世の中を良くしたい、平和に過ごしたい、平等社会であってほしい……

常日頃から起こる問題を目の前に自分達の理想を実現すべく色々な人達が日々活動している。

特に社会問題解決という大きな問題に取り組む人々も少なくなく、様々な人が沢山の問題を取り上げ、理想を叶えるべく動いている姿も多々見かける。

しかし、そんな姿ですら、そんな理想ですら、近年は妙に歪に感じてしまう。

何故なのだろう?

各々の想う理想こそが「正義」であり、その理想どおりの形が「正しさ」であり、それを実現するために「正義」と「正しさ」が原動力となって動いていて、それでもって「正義」と「正しさ」の規範から外れたものを淘汰し、正す行為が目立つからそう感じるのだろうか?

多分そうかもしれないと強く思う。

各々にとって「理想」とは意識的にも無意識的にも「正しい」こととしてインプットされており、その「正しさ」で「正す」ことが「正義」となっているのかも。

から理想」の通りにならない状況に『正義が怒りを呼んでいる』のかもしれない。

理想どおりにいかない、そうならない人が世の中には多すぎるから、故にその人らを「間違った存在」として淘汰して、定められた「正しさ」で正すのが「正義」であって、それで「理想」を実現させようとしているのかなとも。

──でもそれは正直言って危険だと思う。

おそらく「人を(或いは人の思想を)正しい方向に正せばまともな人間になってまともな世の中になる」的な認識原動力となっているのだと思うがちょっと待て。

その「正しさ」は、自分自身にある「正しいと信じているもの」は 、自分達の理想が叶った姿である「結果」に結び付く行為かどうかを考えなければいけないのではないか

理想正義を持つことは決して間違いではない。間違いではないのだけど問題理想を叶えるためにどのような手段を使っているかだと思う。

人を「理想通りにするための正しさ」で統制したって「理想通りにするための正しさ」で「理想どおりの姿が描かれているか」に疑問を持つ人間は必ず現れる。

理想を叶えるために「正しいこと」が絶対視されるとしたらその疑問を解消する猶予も無くなれば、視点を変えることで更なる解決に繋がるであろう意見封殺されることになってしまう。

それどころか「正しいこと」と違う考え、意見等を「間違い」として淘汰する人間も必ず現れてしまう。

結果的に争いの火種を大きくしてしまうことになりかねないのも想像し難く無い。

要するにたった1つの視点である「正しさ」にこだわり「正しいこと」で統制しても『理想どおりの形にはならない』のではないかと、私は考えている。

1つの事柄でも沢山の視点で見る必要があり、解決の為に必要なことを丁寧に分割した上で纏めて手段と手順を組んでいく。

そして『目指すべき結果』にたどりつく為には様々な人の考えとアイデア意見から多岐にわたる多彩なプロセスを組んでいき個人の現状、境遇課題個性等を把握して柔軟に対応できるようにノウハウ及び目的の達成、問題解決の為のフローチャートを構築していくことが必要だと思う。

その為にも沢山の人の沢山の視点による沢山の意見必要であり、個々で考える必要もあれば人の力を借りることも必要になってくる。

たった1つの視点だけで問題解決と言う「結果」に結び付けることはまず不可能に等しい。

多種多様視点から見て、多彩なプロセスを組んでいけば、それらの視点を潰す必要も無く必ず問題解決と言う「結果」に結び付けることができるのでは無いだろうか?

もちろん、これは決して容易ではなく、視点によっては懸念点、別の問題点も中には存在する。そんな不安は当然ある。

もし、懸念点、別の問題点があるとしたら、更に深く、細かく情報手段を見据えていき、「懸念の原因」を解決させマイナスな結果に行き着かせる必要が無い手段方法等を見出していき、懸念点も払拭できる道筋を組むこともできる。

しかしたら誤りかけたとしても修復の効く内に修復できる道筋も作ることができるかも知れない。

同じことを繰り返し申し上げると決して容易ではないことであることは重々承知である

だが、本気で問題解決したいと、ましてや平等社会の実現と言った大きな理想社会問題と言った大きな問題に至っては「正しいこと」で正すと言うような短絡的な手段では決して解決できるような問題では無いことだけはハッキリと言えてしまう。

そんな簡単問題では無いからこそ、問題の「原因」を見つけて、プロセスステップを細分化パターンごとに分岐して多彩な状況に柔軟に対応できる形作りを行うことで道のりは険しくとも最終的には問題解決と言う「結果」に結びつき、各々が望む「理想」を形作ることができる。

からこそ「正しいこと」にこだわる必要は無い。「正しくない」からと言って一方的に全てを否定する必要も無い。

「望む結果にたどり着く為の手段を、ステップを多彩に作っていく」べきであると、そして望むスタンスを、望む道のりを個性否定等せずとも「懸念点も問題点も解決できる方法存在する」し「過ちを犯さずに済む道も必ず存在する」。また「取り返しがつく内にリカバリーを効かせれる手段」も考えていく必要もあるだろう。

視点を変えれば如何なるパターン問題解決に繋げれる方法形成することができるし、理想を叶える結果にも繋げることができるはずだ。少なくともそうだと私は信じている。

私も理想を叶えるべく、それに繋げるための道筋模索し、ノウハウを構築していく1人となり、様々なことを考え何をすべきかを見極め、行動しなければならない。

──その道は険しいが、それでもやるしかないのだ。

  • 多様性の素晴らしさを説いている人達が 実際には一つの正義しか認めていないように見える現象は何と言うのだろう たった一つの正しさのために自分の気に食わない物に殴りかかる人達...

  • 長々と陳腐なお気持ち表明ご苦労さん おまえが「社会問題の解決に……取り組む」姿を「妙に歪に感じてしまう」のは、おまえがネット世論に毒されてるからだよ いいか 一度冷静にな...

    • 昨今のツイッターのトレンド見てネット世論の主流が反正義だと思えるのすごいな 本当にそうならアンチフェミや冷笑系のツイートがバズり続けてなきゃおかしいでしょ しかし実際には...

      • でそいつら皆金持ちになれてんの? 正義の側に立って勝ったからといっておまえらが得るものは何もないよ。 だんだん歳を取っていき気づいた時にはモニタの前で下品に笑うジジババよ...

      • いやいや ホテントリにあがるトゥギャッターもそれ系の話題につくブコメも「反正義」一色だろうが コロナ対応の失敗などの影響かしらんが最近では記事によっては多少盛り返してる感...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん