仮にAppleWatchと仮定する。当初はAppleWatch等のスマートウォッチに興味がなかった人が、何らかの理由で調べてみることとした。
こういったことを考えていると、最終的に買うか買わないかという2択が前提になってしまう。
本当はいらないはずなのに手軽に情報を得られてしまうし、知ってしまうと買わないことがむしろマイナスに思えてしまう。西野という人物が卒業式でスピーチしたときと同様、「盛大な拍手をするかどうか」という本来なかった前提を無意識に受け入れて、それを前提に二者択一を自らにしてしまう。
こういうのは非常に危険。情弱と呼ばれる人はむしろ自分で調べないし知識をアップデートしないから、その前提に至る前に弾いてしまいがち。一方で中途半端に情報を集められる人ほど、この二者択一に陥りやすい。知識のアップデートで買うかどうかの天秤が自然にできてしまうから、そこに物欲が加味されるとあっという間に片側の天秤に重さが加わる。
これがAppleWatchだからまだいいけど、例えば不動産や新規事業とかならもっと酷い。自分が得意としたらそれを活かしたくなり、新しくはじめないことが罪に思えてしまう。
いや調べてるってことは買う気があるってことじゃん でも調べてみたら微妙だから買おうか買わないか迷うって当たり前じゃん むしろ第三の選択肢ってなによ
こういうものがあるよ ふーんどうなんだろう お、色んな人が買いだとかコスパ悪いとか新規になって劣化したとかいってる 調べると次のバージョンだと改善されるっぽいね あ...
そりゃまぁ、話題にするというのが、俺達からすると禁じ手みたいなものだからな。ほかもだいたい、同じだろう。それをやらないようにしている。 となると、のこるのが、買うか、買...