2021-01-17

私の楽しい母親について

 私の楽しい母親について。

 初投稿。暇だから書き殴ります。私の母親楽しい人です。身内の贔屓目かも知れませんが、少なくとも私は私の母親以上に面白い生き物に出会えた試しがありません。

 まず前提として私は母親に一切の畏敬を抱いていません。いかにも実母に対して好意的タイトルを銘打っておきながら、その中身は身内の恥を晒すような代物です。

 タイトルから家族暖かい日常話を期待して来てくれた方には申し訳ありません。他人の家の不幸自慢に耐性のない方は、気分を害する前に引き返すことをお勧めします。

 私の父親を「人でなし」だとすると、母親は「ロクでなし」という言葉体現した人物だと思っています。どちらにも共通する部分として「幼稚」というものが挙げられます。そんな両親の間に産まれた私も高が知れたもので、その品性はこのような人目に触れる場所に褒められない文章を投下している時点でお察しです。

 結婚動機母親によると「他に好きな人がいたから」というもので、それだけを聞くと要領を得ないものですが、さらに詳しく問い質していくと、やはりどうにも意図を掴みかねる答えが返ってきました。

 どうやら「別の男に近付くために結婚までして子供を産んだ」という、なんだそれはと呆れ返るような真相です。ちなみに父親祖父母財産目当てでした。

 結局この話のオチは「夫の暴力に耐えかねて離婚。目当ての男には逃げられた」という三流喜劇も甚だしいものになりました。なにより面白いのは多感な幼少期の私に「お前は道具として産み落とされたんだよ。お前の父親なんて愛したことがない」と正面から説明していたことです。おかげで物心着く頃には母親の大体の人間性が把握できていました。まさしくロクでなしです。

 実は私には姉がいます。これまた手放しに性格が良いとは言えない姉です。それでも人並みの優しさと常識を兼ね備えた、あの両親からしたら鳶が鷹を産んだような奇跡の子供です。そして、母親のことをこの上なく軽蔑しています

 というのも姉は母親の第二の被害者第一祖父母、第三は私自身です)と称しても過言ではないのです。

 前述の通り、姉は手放しに性格が良いとは言えません。それこそ小学生時代は男勝りに無鉄砲で図々しく、なにより神経が丸太のように図太い子供でした。端的に言いますと、愛想がないのです。家から閉め出された日には本当に家出をしようとしたほどです。

 そうなると母親には面白いはずもなく、離婚してから三人暮らしを始めると、やはり予想通りと言うべきか、姉が怒られない日が珍しいほどでした。中には八つ当たりのような理由のものも少なくありません。叱る前に怒るという部分に母親、それ以前に「大人としての適性」が伺い知れます

 なにより記憶に鮮烈なのは子供二人に酒のお使いを押しつけた挙げ句、買えなかった旨を報告され乱心し、姉に痛烈なビンタを喰らわせた事件です。怒っていいのか笑っていいのか分からない、そんな気分を低学年にして初めて味わいました。

 とはいえ子供は養われる身。それも咎め大人のいない三人暮らしでは、母親の気分を害する行為禁止という暗黙のルールが敷かれていたのです。私としては母親の不機嫌は大抵姉が吸収してくれるわけで、そこまで不自由な気分はしていなかったのですが。

 祖父逝去すると祖母との四人暮らしが始まりました。そしてこの祖母こそが母親の最大の被害者です。あの「怪物」を育て上げた手腕にブリーダーとしての才能を匂わせる祖母ですが、その生涯には怪物の息子である私でも同情を禁じ得ません。

 まず家賃の半分以上を祖母年金負担さらには家事担当祖母。既に身体にガタが来ているというのに、まるで休まる暇もありません。

 そして肝心の母親はと言えば、子育てさえ自分の親に丸投げして自堕落実家生活祖母の苦言も馬耳東風。終いには「仕事もしてない子供家事やらせろ」と責任転嫁学校から帰宅して自分家事を最低限こなしていた私たちに、自分家事さえ人任せな大人が偉そうに命令するのです。

 甘える対象が近くにできた母親はロクでなしかクズへと退化していきました。時に祖母母親は殴り合いの喧嘩まで発展し、何度か警察沙汰さえ引き起こしましたが、それでも母親は成長することはありませんでした。

 そして母親人間性はついに暗黒期に突入します。

 出会いに失敗、仕事に失敗、金銭に失敗。往々にして失敗とは本人の選択ミスが招くものであり、失態を省みて自己改善に努める能力現代社会人に必須とされるものですが、当然ながら私の母親にそんな殊勝な精神性は宿っていません。

 どこで最悪の出会いをしてきたのか、ある日母親帰宅するなり、とんでもないことを口走り始めました。

「実は私の人生は悪意によって歪められたものであり、それは前世において私の大成功を妬んだ存在、今世における実の母親仕業である。数年前にゴホンゾサマの像を返却した事実がその証拠だ」

 私は感動しました。その日までテレビの中でしか実在しないと思っていた出来事が、目の前で起きたのです。まさか、実の母親カルト集団の仲間入りを果たすとは!

 やはり逃げ道としての宗教人間を腐らせるものに違いありません。その日以来母親は事ある毎に祖母に恨み言を吐きかけるようになりました。全て根拠も論拠もない妄想の垂れ流しであり、こちらの話には聞く耳も持ちません。もはや自分に言い聞かせているかのような修羅の勢いでした。

 定年を迎えてまで馬車馬の如く働かされ、自分貯金を浪費されるばかりか、元凶罵詈雑言を浴びせられる祖母。二人の殴り合いの頻度は一週間に一度というハイペースに至りました。私たち姉弟は巻き込まれる度に仲裁を試み、時に身内を警察通報するという地獄を繰り返していました。今思い返してもあの頃ほど充実した毎日は生涯訪れないだろうと確信しています

 これらが既に三、四年前の話であり、今は他の事もあって最盛期より随分と落ち着いています。私の母親の笑い話はこの他にも枚挙に暇はありませんが、全てを羅列するとなると労力も文字数も計り知れません。流石に飽きてきたので今回はここまでとさせていただきます

 今回は休日時間潰しにと思いついて執筆させていただきました。少しだけでも楽しんでいただけたでしょうか? 人の不幸自慢を楽しめたなら世の中の大抵のことは楽しめることでしょう。羨ましい限りです。

 さて長々と書き連ねてしまいましたが前述してある通り、こんなものは「不幸自慢」の範疇に収まるような些事です。どこの家庭も抱えている多様な問題の一例にすぎません。

 中には育ててさえもらえなかった、食事すら自分で用意した、という方もいるかも知れません。それらを比較してどちらが可哀想、という話も私にはとてもできません。

 ただ最近の世の中は便利なもので、腹の内に抱えた宛のない不満を吐き出す場所が用意されているものです。例えば、こことか。

 いつか自分の心に限界を感じたとき、一度全て文字に起こして気持ちの整理を試みるのもアリかも知れません。

 まあ、私は自分可哀想だとか不幸だとか考えたことなんてありませんけど。

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