「なんとか年は越せそうです。だけどそう長くは無いみたいです。
彼女を置いて行くと考えると辛いですが上から見守ろうと思います。」
『残り15日』と題されたその投稿は、明らかに、自殺を企図したものだった。
ただならぬ気配を感じたユーザーたちは、当然、コメントという形で投稿者に話しかけようとする。
「もう少し生きてみよう」「逃げてもいいよ」「病気なの?」「ネタでもいいから死なないで」
ひとつひとつのコメントに、投稿者から、丁寧な返事があった。根が几帳面なのだろう。寄り添うようなことばには感謝を、攻撃的なことばにはやさしさを返す一方で、どこか迷っているようにも見えた。
投稿に興味を惹かれる人が多ければ、その投稿はもっとたくさんの人の目に入るようになる。
早い話が、バズった。
小規模ではあるけれども、投稿者が全てのコメントに返信するのが難しくなるくらいには、多くの人の目に触れたらしい。
『残り14日』の投稿には、「昨日は色々なコメントありがとうございます。残っている時間を大切に過ごしたいと思います」ということばがあった。
『残り11日』「今日は彼女に会いに行きました」『残り10日』「今日は友達に会いました」
カウントダウンが1ずつ減っていくとともに、人間関係を清算しているようなことばが綴られる。
『残り5日』「明日は中学の時の友達に会いに行きます。少し楽しみです!」『残り4日』「最後に楽しい思いが出来ました。今日は何だかよく寝れそうです」
そして、ついに迎える『残り1日』。
2020年1月6日、彼が選んだ曲は赤頬思春期の『私の思春期へ』。
ことばは、みじかく、「悔いが残らないように」。
たくさんのユーザーが、彼の投稿を見た。彼を現世に引き留めようとした。
素性がわからない、断片的なことばのかけらしか知らない、リコメンデーションエンジンが偶然に引き合わせた見ず知らずの相手だというのに、揶揄するようなコメントは皆無だった。ひとりひとり、選んだことばはさまざまだけれど、彼のことを応援する人ばかりだった。
その熱意が、投稿者のなにかを、融かしたのだと思う。
彼の真っ黒なアイコンのまわりに、赤い円が現れた。「ライブ配信中」。タップしてみると、イヤホンからぼそぼそと"彼"の肉声が流れ始めた。
彼は存外、色んなことをしゃべった。
友達にも、家族にも、恋人にも、相談できなかったという。センシティブな話題は、かえって身近な人には打ち明けづらいものだ。それでも、インターネットを介してなら、1000人以上に心の奥底の悩みを表出できるのだから、SNSも捨てたもんじゃない。
彼女には弱いところを見せたくなくて、でも傷つけたくなくて、だから別れなくちゃいけなかったけれどなかなか言い出せず、結局「別れよう」のひとことしか言えなかったと、涙ながらに話していたのが印象的だった。
途中アクシデントがあり、舞台をインスタライブに移して、彼の独白は続く。
自分は恵まれていて、どちらかというと陽キャにみられる側で、だからこんなことを言っても「俺だって死にたいよ」と返されて終わりだと思っていた、と。
コメント欄では、そんなことないよと温かく彼を慰めることばといっしょに、「コラボしよう!」という投稿が流れていく。インスタライブの機能だ。
「最近人と全然しゃべってないから、何話していいかわかんないや……」と戸惑いつつも、結局彼はコメント欄の勢いに押され、コラボをはじめた。
一人目に入ってきたのは、九州の方の訛りのある、14歳の女の子。彼女は輝いていた。光そのものだった。
話していた内容は、TikTokのコメント欄に寄せられたものとそう大きくは変わらない。「主さんの苦しみは分からないけど、生きてればいいことあるよ」「世の中色んなことあるし、まだ死んじゃうにはちょっともったいないよ」「彼女さんも悲しむと思うよ」「逆にそういうこと相談してくれたら、彼女さんの立場としてはめちゃくちゃうれしいと思う」
彼女のことばを聞いた主は、泣き出してしまう。鼻をすすりながら、語る。
皆さんから温かいコメントはいただいていたけれど、どうも自分に届いていない気がしていた、と。「死のう」という決意が壁みたいになって、心が全然動かなかった、と。
「それが、それが……」
直接話して、融かされた気がします、と。
心なしか、声が明るくなった。「ごめんなさい」「心配かけて」「でも」ばかり言っていた暗い声から、ほんの少し希望の宿った声になった。
人は、人と関わらないと生きていけない生き物だ。うれしいことがあったら分かち合って、つらいことがあったら相談して。そうやって日々を送るものだ。
主はきっと、どこかでボタンを掛け違ってしまい、相談する場所を見失ってしまったのだろう。そうやって、もつれた糸をかきわけて、最後に残ったSOSを発信できる場所が、インターネットだったのだろう。
二人目は男子大学生。色々な考えのひとつとして、「人の悩みなんて宇宙に比べたらちっぽけなもの」だと語った。明日は大学で1500メートル走を走るんだと言いながらも、深夜に、親身になって、主と「将来やりたいこと」について語り合っていた。
三人目の女子高生は、「わたしも明日死のうと思ってたんだけど、やっぱりやめちゃった」と言った。いじめられていた過去があり、見返してやろうと思っていて、たまにダメになっちゃうときもあるけれど、それでも頑張っていると語った。
いろいろな人と話すうち、主の声はどんどん明るくなっていった。アンチがひとりも出てこなかったのは、彼の人徳ゆえなのかもしれない。主には「Sくん」というあだ名もついた。
笑い声がこぼれるようにもなってきたSくんの様子を見て、何人目かの話し相手が切り込んだ。
「死にたい、って言ってた人に聞くのもちょっと微妙だけど……Sくん、今、まだ死にたいと思ってますか?」
「今は……」
3秒間の沈黙。そして。
ネットユーザーたちの温かさが、ついに、Sくんの心の中の氷を融かしきった。
これはたぶん、どこにでもある、傷の舐め合いなのだと思う。
匿名掲示板、Twitter……場所を変え、形を変え、昔から幾度となく行われてきたことの再演なのだと思う。
Sくんとコラボして話をした者のほとんどが、一度は自殺を考え・試みた人たちだった。彼女たちは、Sくんを癒やすと同時に、Sくんによって癒されていた。
Sくんは、自分で「居場所」をつくりだしていた。彼自身を含め、つらさを抱え、誰にも相談できず、それでもSOSを出したい、そんな人のための居場所を。
Sくんのライブは盛り上がった。彼が元気を取り戻すのと比例するように、コメント欄には黄色い声があふれた。「好き」「かっこいい」「推していいですか」。彼は優しいし、おそらくモテるのだろう。「俺も好き」「ありがとう」なんて返事をするものだからますます盛り上がって、しまいには彼を推す人たち用のグループチャットまでつくられてしまった。
その様子を見た彼は、ぽつんと、ひとこと。
「じゃあ、わかった。みんなが俺のこと飽きたら……死ぬわ」
コメントではみんな「飽きるわけない」と言っていたけれど、彼は「2・3ヶ月もすればみんな別の推しができるでしょ」と自信なさげだ。
だから。
私は絶対に飽きる。彼のライブに毎日馳せ参じることなんてできない。そんなに興味は続かない。別にガチ恋しているわけでもない。
でも――
飽きたからと言って、昨晩の、どこにでも偏在する奇跡が、薄らいでしまうわけじゃない。
つらさに苛まれ自死を選ぼうとした彼のSOSに気付いた多くの人が、よってたかって彼をケアし、壁を融かし、死を先送りにした。
強く生きてくれ、Sくん。そして、みんな。
ついか: