2021-01-07

anond:20210107020557

論理学哲学の一分野である日本の初等中等教育においては道徳倫理しかないため、論理学習得し鍛える機会は国語科にしかないのが現状

言語を駆使した論理学は数理論理学と相補して人間論理能力を向上させるスキルである

欧米人インテリと話す機会があるときには日本人には論理学の鍛錬が決定的に不足していると感じるのだ

好き嫌い表現し人を感動させるのも素敵なことだとは思うけど、文芸(=芸術)の守備範囲であろう(芸術を軽視していいとは全く思っていない、念のため)

論理学文芸とは切り離して訓練すべきと考える

文芸好きな国語教師の皆さんにとっては面白くないだろうけど

記事への反応 -
  • 評論とか論説とかって飽くまで「論理的」なんであって、論理ではない。 明らかな誤謬とかはともかく、大事なのは説得力のある文章の読み書き。 人を納得させる・感動させるというの...

    • 人を納得させる・感動させるというのは形式は違うが根は共通 この辺は苦労せずに国語が好きになった人だけが持てる感覚 数学が苦労せずに理解できる人の傲慢さと似ている

      • だからこそ、二つを分けるなと言っているのよ。 評論は論理だけでは読めないし、小説に論理がないわけでもない。 人を説得・納得させる言葉の術を学ぶ必要がある。 両者で多少形は...

        • うーん 納得したり感動したりってのは、どうしても文脈とか読み手によって効用に差がでてしまうんだよなあ 読み手にかかわらず絶対的なものと、読み手に応じて使い分ける相対的なも...

          • 人間が書いている以上、文章にも当然相性がある。 それは人間同士で好き嫌いがあるのと同じことでしょう。好き嫌いを論じるのも立派な国語能力の一つだよね。 で、読み手にかかわら...

            • 論理学は哲学の一分野であるが日本の初等中等教育においては道徳と倫理しかないため、論理学を習得し鍛える機会は国語科にしかないのが現状 言語を駆使した論理学は数理論理学と相...

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