2020-11-25

28歳にして自分低能だと気づいた

自分で頭を使って目標を設定した事もなければ、何かを勝ち取る為苦悩した経験もない。

から自分の中に確固たる自信がない。求め得るゴールをそもそも定義できていないからだろう。あるはずのない理想を追い求め、そのくせに他人との「差」ばかり気にしてしまう。

思い返せばこれまで、その他自分が「これをやっている」と思っていた事全て、自分価値観ではなく他人価値観の下設定された目標を「やっている感」を得る為になぞっているに過ぎなかった。

自分内面からあふれた「やりたい事」ではないしそれを元に設定された目標でもない。

から辞める事なんかいとも簡単にできたしありたい姿がないのだからそれに向かって苦悩し努力する事もなかった。

思い返せば自分がこれまでの人生で心から好きでやっていた行為…絵を描く事ぐらいである。

なぜ辞めたのか?いじめられたかである

絵を描くという行為中学生という思春期真っ只中の社会においては気持ち悪さの象徴だった。

俺は小学生から中学生に上がるにあたり、自分性格や行動、人との接し方を変えたつもりはなかったが、

環境が変わると評価も変わるものである

から俺はやめた。自分の好きな事や考え、価値観を貫く、守る為に戦わなかった。

俺は簡単他人に媚びた。自分を演じた。

その時点で俺の負け犬根性は完成されたのかもしれない。

小学生のころからお前はすぐ人に流される。自分の考えがないのかと母親に言われた。

俺はその言われている意味すらわからなかった。仲の良い友達とただ自然楽しい遊びをしているだけだった。何も考えていなかった。

物心ついた時から太っていた俺は基本的他人よりも人としての価値が低いと思っていた。

人間ではなくデブカテゴライズされて15年程生きたので、自分自分を人として認識できるまでにずいぶん時間がかかった。

具体的には高校2年生で、彼女ができた後である

俺は彼女を愛していたし彼女も俺を愛していたと思う。大学1回生の時に俺が彼女への興味が失ったので別れた。

なぜ興味を失ったのか?恐らく自我を手に入れた。自分を人として認識できた事で、広い世界に出たかったのだろう。

その後できた彼女に対し俺は狂った。

彼女の行動を監視していたし日常的に説教していたように思う。当時はそれが正しいと思っていた。

今となっては、何もない自分を埋める何かが欲しかったのかもしれないと感じている。

就職活動を通じて俺は自分の虚無さに絶望した。やりたい事もなければ、人様に誇れるような能力も知能もない事がわかったからだ。

当時もやはり自分の頭を全く使わず、先輩やネット言葉鵜呑みにしながらもなんとか某企業入社できた。

入社した会社は最高だった。ただ最高という評価は後から振り返ってみてできた感想なのであって、当時は辞めたいと言っていたし思っていた。

その会社体育会系長時間労働ブラック企業で、毎日7時~23時ぐらいまでは働いていたし、パワハラ暴力も当たり前の環境だった。

週末は同僚と上司愚痴を肴に朝まで飲むような、絵にかいたようなクソ会社員だが、今考えるとこのころが一番楽しかった。

なぜなら、会社は一部上場で成長中、それなりの金がもらえた。それでいて一部の有能による指示の下、頭を使わず管理だけされてればよいのだから低能労働者には最高の環境だろう。

実際に何も考えていないのに何か考えているつもりになりながら、長時間労働に精を出した。

その環境で俺はそこそこ評価されていた。俺は完全に従順だったし、恐らくこれまでの新人よりは根性があったのだろう。

俺のような低能にそれなりに飴を与えてくれていた上司や先輩も、俺と同じ様に軍隊式の環境に飼いならされた兵隊だった。

支社長けが唯一の知能で彼に管理されながら生きていた。

数年後異動した。これまでと打って変わって何も指示されない環境下となり、俺はやはり低能だった。

しかし運良く評価はされていた。俺は自分の頭を使って目標を設定し責任をもってそれを実行する能力はないが、言われたことをそれなりに見せる能力と、コミュニケーションにおいてなんとなく良い奴に見せる能力はあった。なので環境が味方し、俺は昇進試験に受かり、小さな自尊心は満たされた。

だが、つくづく俺は低能なので、転職副業ブームアフィリエイターのカモになった。

何も考えられないのに何も考えずに転職し、年収が数百万下がった。

そこそこの会社正社員という宝を自ら手放し、俺は底辺になった。

俺は今、生きるのが苦しく、しんどく思っている。

この状況を変えたいと思っている。でも、なにもないのである自分が何を追い求めたいのかすらわからない。そんなことをしたことがないので。

おそらくこういった事に悩み、思いを巡らし、何かしらの答えを見つけ、歩みだす行為は、大学生までに終わらせるか、一切気づかずに生きるか、どちらかであるべきなのであろう。

ただ俺は28歳というええ年もええ年で気づいてしまった。自分いか低能で、頭を使ったことがなく、自分人生を生きたことがなかったかを。

しょうがないので、「人生に遅すぎるという事はない」という言葉を信じようと思う。

これからは、頭を使って、自分人生を生きてみようと思う。

  • なーがーいーな 簡潔にまとめてもらわんと

  • まだ30にもなってないじゃないか。若い、若すぎる。全然やり直しきく、というかまだ青春時代真っ只中だぞ。可能性しかない!40手前より。

  • 増田さんはこれからだよ。大丈夫。

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