90年代前半。自社さ政権のもと、日教組が文部省と和解する直前で、日教組にまだ力があった時代。
(今の日教組にはほとんど政治的な力は残っていない。徹底的に弱体化された)
毎月のように、活動家の講演を聴いて、映画橋のない川を見たり、ビデオを見たりして。
しかし、人権の尊さを説きながら、実際の公立中学では人権は制限されていた。
入学した時は丸刈り校則が残っていたし、校則や校則に書いてない指導は、学校外も含めた生活に隅々にまでわたり、管理教育そのものだった。
教師は生徒の人権を認めていないのに、人権の尊さを説いていた。
だから、数年後、小林よしのりの『ゴー宣』が右展開し、「サヨクの欺瞞」を主張したとき、理屈ではなく実感として理解することができた。
しかし、現在の主権者教育は、地域という言葉は使っても、学校の民主化については問わない。