2020-10-12

池袋暴走事件私刑検察庁法改正とBLMと

https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-372.html
を受けて。

手続き上の正義というのは、その社会構成員が「確かに存在している」と合意していることが前提だ。
罪を犯した人物が、その程度に見合った刑罰を受けること。
罪を犯していない人物が、証拠もなく「怪しいから」などというだけで裁かれないこと。
それが実現している様子を社会構成員が見届けることで、「司法に任せておけば大丈夫」となる。

池袋暴走事件で「上級国民」と世の中が沸騰したのは、法手続き上の正義存在が揺らいだからだろうと思う。
かに法律には、逃亡や証拠隠滅の恐れがない場合逮捕必要はないと書いてある。
罪を犯した疑いがどれほど濃厚だとしても、それが確定するのは司法の場であって、それまでは不当に身柄を拘束されることはないというのはまさに法手続き上の正義だろう。
だが、他の誰かが同じことをした時にその正義は同じように適用されるだろうか。そうした疑念が「上級国民」という言葉で形を得て、容疑者やその家族に向けられることになった。

だって裁判でも同じ疑念の目が向けられていることがわかる。
被告には無罪を主張する権利がある。だが、検察の追求は正しく行われるのだろうか。
この疑念は裏返せば司法に対する期待でもあるだろう。
ひとりの構成員として、正義が為されることを祈っている。

さて、この話はここで終わりではない。
この国ではつい最近、法手続き上の正義が大きく揺らいだ出来事があった。
黒川東京高検検事長検察法改正案をめぐる一連の騒動だ。

手続き上の正義は、何人であっても平等適用されなければならない。
たとえ元高級官僚であろうとも、国会議員であろうとも、総理大臣であっても、罪を犯せば裁かれる。
からこそ司法権は独立していなければならない。

あろうことか、安倍元首相及び自民党はそこに手を突っ込んだ。
それによって黒を白に書き換えたとまでは言うつもりはないが、疑念を抱かせるには十分であろう。
当の本人たちは「そんなつもりはない」「何をそんなに大袈裟な」と思っているのかもしれないが、それであれば事の重大さが分かっていないということであり、なお厄介だ。

手続き上の正義存在するとの合意が失われると何が起きるかを示しているのが、Black Lives Matter運動だろう。
法律の上では白人黒人平等だが、法手続き上はそうなっていないと多くの人が感じていた。

暴動や略奪を肯定するつもりは一切ないが、法手続き上の正義存在していないと考えているのであれば、そういった事が起きてしまうことも理解できる。
トランプ大統領はよりによって「法と秩序」と繰り返し言っているが、それが揺らいでいるからこんなことになっているんだろう。

この国にも経済的社会的な格差存在する。
性差別存在する。
人種国籍での差別存在する。
手続き上の正義は、万人に対して平等に為されなければならない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん