2020-09-19

世界が狂っている時、自分正気であることをどう整理するか

脳内ダンプって感じでまあまあ、読む人のこと全然考えていない悪文です。なにかの主張とかじゃなく現時点での自分脳内の整理(とちゅう)です。

どっちが狂っているのかはまだ良くわからん

とりあえず世界には割と正常な部分と狂った部分が両方ある。当たり前だけど正常っぽい動きのほうが多い。

でも正常な主張や理論に基づくそれぞれの人の動きや制度の仕組みが重なって、狂った現実を紡ぎ出す場面も度々目にします。

よくわからないなりに、折り合いつけているんだけど、それはこの世界の狂った部分を認めているわけじゃなく、世の中狂ってるよな〜。世の中の狂った部分に巻き込まれないように注意して安全ルートを生きるしか無いよな〜。といった形で生きます

自分からなんちゃら教に足を運んで、狂気の渦に巻き込まれ必要ないし。

大企業とかエリート公務員目指して、圧倒的な過労状態で心身をすりつぶしながら、名誉だか金だかを価値の全てであると、そういった謎の心情にすがりついて、生きるのも良くわからないし。いや、わかるんだけど、その先に何があるかと言うと、実は何も無いのではないか、なにもないことをちゃん理解した上で空虚自分の命を燃やしていることに気がついているのか、それを飲み込んでの働きなのか。

そういった部分を考えていくと、ルサンチマンっぽくなるんですけど。

ルサンチマンと違うのは、そういう活動をする人の事自体批判とか反対とかはしないっていう、そういう考えというかポリシーはあったほうがみんな自分活動を認め合うことが出来て、比較幸せ世界になるのかなーって思うけど、

みんな他人の行いはおろかで醜く無用ゴミだと思ってる感じはする。自分他人がやっているどうでもいいこととか、どうでもいいことでエラソーにしているやつ見かけたら、脳天かち割っててめえの頭骨ヒヤシンス植えてやろうか!ってな気分にも一瞬なる。

だけど、まあ。エラソーにしてるやつが、エラソーな態度するかどうかと、自分人生にそのエラソーな態度がなんか関係あるのかとか考えると別に自分人生になんの不都合もないし、エラソーにしてるやつのこと別にどうでも良くなるので、エラソーにしたことに対して頭かち割るのはやりすぎだよなっていう、常識的結論がついさっきの激情を沈静化させるので、なんとか平静を保てます

保てない人が家族殺したりします。

大体の殺人は知人同士とか家族同士が多いですね。

殺されたくなかったら、交友関係とか家族関係メンテナンスに力を入れるべきです。

不審査警戒して監視カメラとか防犯ライトとかつけても意味ねーです。

あと自分が狂っているかどうかって、やっぱりわからない気がするので、自分が狂っている可能性をいつも頭の片隅に入れておいて、取り返しのつかない行動(たとえば殺人とか)をやらない、みたいな線引は引いていたほうが良い気がする。

でも自分家族とか知人とか皆殺しにされて、そいつらが絶対的悪事してたから犯されたりぐちゃぐちゃのミンチにされたり、死体にしょんべんかけられたりするの当たり前だよな〜みたいな感じで、世界中の人間が狂いまくって自分を敵視した時、殺人衝動を抑えることができるかと、まぁそんなこと無いんだろうけど、仮にそんなやべーことになったとしたらと考えると、流れぶち壊しですまないけど意外と殺人しないような気がする。

まあ実際になってみないことにはわからないんだけど、屈辱というものがどこから来るのか、ってのは自分社会のどの位置存在していて、その位置関係自分脳内の中の社会マップみたいな部分で自分のいちを誰しも把握していると想うんだけど、仮にそれを脳内カーストとでもしようか、

脳内カーストとずれた態度をされる、たとえば後輩から呼び捨てにされてパシッてこいとか顎で使われたら、めちゃ怒るひと居ると想う。その人は脳内カースト現実のズレに恐怖するし怒るわけですよ。なので、最初から脳内カーストがどれだけ信憑性あるのかとか、実は脳内カーストってのは妄想であり、現実世界と対になるものではないってことに気がつけるかどうかな気がする。

それに気がつけば、人はすぐに死ぬし、ゴミ雑巾のように殺されるし、ゴミ雑巾のように他人を殺すっていう現実を受け入れられる気がする。

それ受け入れるとどうなるかといえば、自分の苦しみがなくなるのかな。仏教だと多分そんな答えだろう。

神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)信じてる系の人なら、神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)が、私の日頃の行いを評価してさばきを与えてくださる、世の中の幸福バランスをもとに戻してくれる(公正世界仮説)みたいな、現実逃避のありもしない妄想にすがりついて、死ぬまで苦しんで生きるしかないっぽい。

自分のために怒ってくれるの嬉しい!っていう気持ちはわかるけど、そいつが怒ったからって現実が変わること無いし、もっと現実世界を丁寧に扱って、人間関係とか社会構造ヒエラルキーとか、そういった目に見えないどうでもいいことに固執するの、そろそろ狂っているっていう自覚は、ぽつぽつと気がつく人が出てきてもいい頃合いかな(過度な期待)〜って感じです。

透明のガラス戸ってあるじゃん。あれをガラガラ~つって閉めるふりすると、戸が空いたままにもかかわらず犬がそこに入れない〜っていう、見えない壁の存在を感じてる困っているわんちゃんめっちゃ萌え萌えきゅんきゅんのヤバかわ動画があるんだけど、(invisible door とかでググれ)昔だと宗教の謎の論理性のかけらもない嘘話を信じ込んで神の教え(文書書いたの人間だろ!)を守れば死後救われる系異常者集団現代だと人権とか金とか地位とか、そういうこの世に存在しない概念とかイデオロギーを盲信してる人ら(まぁ自分も一部イデオロギーの主張には乗ってるけどそれが宇宙の真理ではなく人間社会の秩序をより良くするための方便で、人工的に作り出された共同幻想であることは自覚してる)はさ、そういう妄想とか幻想を、現実と捉えてて教信者じみたムーブしているの、狂っているとしか思えないし、事実狂ってる。

社会ほとんどの人が空気のように受け入れてる概念(コンセプト)やイデオロギーってのが、妄想産物であると、共同幻想であると、どれだけ意識しているのか、一人ひとりがそれらを認識すると世界変わるだろうけど、

人間身体(脳を含む)は基本原始人と同じなので、急激な社会文化の変革は望めないかな。

実は自分というもの存在しないし、自意識ってのはこれら幻想と同じで実在はしていないらしいっすよ。これはなんとなくわかってて、ソフトなんだから意識も何かしらのデータであり情報であり、波とかいうとかっこよい理系っぽい感じする。なので物質の上に乗っかった性質みたいな感じで、実在しているかと言うと、実在はしていない感じする。神とか金とか役職みたいな感じで、世の中の人が俺の意識あるよな〜っていう感じに認識している(本人含む)ことで初めて、人間自我とか意識が立証されていて、すごい不安定もの人間社会の基礎になってるんですね。

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