先に言っておくがこの話は未成年者に対する性的加害の話だ。興味のない人は帰ってくれ。
ジェニーの記憶という映画を観てフラッシュバックした思いがあり、色々と考えたことをまとめたいと思う。
よかったら付き合ってくれ。
「ジェニーの記憶」を聞いたことがあるか、最近ツイッターで未成年の性の自己決定権の危うさについて見事に描いていると話題になった映画である。内容は、48歳のドキュメンタリー監督が、幼い頃に美化した大人との恋愛の記憶を当時を知る人物と話し、自分の書き残した物語を辿ることで初めて「自分が性的虐待に遭っていた」と自覚する話だ。アマゾンプライムで現在観れるのでよかったらみてくれ。
私は幼い頃に先生と呼んでいた人から性的虐待を受けたことがある。ジェニー(映画の主人公)は2人の年上の男女の先生との美しい物語を語る。その実態はおぞましい、少女に対する性的搾取であるのだが先生と生徒という彼らの立場と、そしてその加害の表現のリアリティから、自分の過去の記憶がフラッシュバックしてしまった。
話は変わるが、私は男性との性行為がとても苦手である。初めての性行為は私が20歳の時だった。
男性嫌悪の兆しのあった自分ではあったが、それは実際にきちんとまじめに付き合ったことがないからではないかと思い、また、未だ男性との性的な付き合いをしたことがない自分を恥じる気持ちもあり、とある男性と付き合い始めた。
何度か性交渉をした。彼の家に泊まっては求められれば拒まずに行為に及んだ。けれど一度も気持ちよくなれない、というか気持ちが悪いような違和感が常に勝ってしまっていた。行為の間、私は私の他人だった。
どうしてこんなことをしているのかもよくわからず、
自分の性器に挿入された相手の性器が前後し、相手が果てるふさわしい振る舞いをするだけの、ある種の義務的行為だった。
その後何度か男性と関係を持ったが、どれだけその人の人格を愛し、尊敬していようとも行為の最中に私の中に私が混ざることはなく、常にどこか遠くから俯瞰してその行為を眺め、終わるのを待つだけの時間を過ごしていた。
自分で言うのもなんだが私はかなり性欲が強い方で、自慰も毎日のようにする。気持ちいいことは好きだ。
けれど、相手の男性がいる、愛のある性行為が本当に苦手だったのだ。気持ちが悪かった。そしてその理由がわからなかった。
回数を重ねるごとに自分は欠陥品なのではないかと不安に思ったり、相手との性行為への消極性から責められたりもした。だから、私は誰かと性行為を楽しめる人間ではないのだと思っていた。
そうしてタイトルをそろそろ回収する。
自分がセックスで気持ちよくなれない原因は、性行為の相手が男性だからなのではないかと思い女性とセックスしてみた。相手は知人の性に奔放なバイセクシュアルの女性だ。私は正直に、男性との性行為が苦手だから、同性とは性行為を楽しめるのか知りたい、と言ってお願いした。
友人とホテルに行き、性行為に及び、結果、私はセックスは「たのしい」ものだと知ることができた。
そして同時に今までセックスに気持ち悪さを抱いていた理由の心当たりを見つけた。
夫婦で経営されていた塾に通っていた私はその人、旦那さんの先生と2人で部屋にいた。
基本的に奥さん先生の授業を受けていたのだが、その日は彼女が他の生徒の面倒を隣の部屋で見ていて、私は自分の授業が始まるまで旦那先生とお話をしていた。通路を挟んだお互いの声が聞こえるほどの距離の部屋だった。
旦那先生は整体の資格も持っていて、その日は待ち時間に整体をしてもらっていた。全身をマッサージしてもらい、その手がいつのまにか、自分の股間に伸びていることに私は気づいていた。そしてジーンズのパンツ越しに性器を刺激された。「気持ちいい?」と聞かれた。わたしはこれが性的な行為だと知っていた。本能的に気持ちよくなっちゃいけない!と脳が危険信号を出した。実際に何も気持ちがよくなかった。私は「なんでもないよ?」と何も知らないふりをして答えた。「気持ちよくないなんて君は変だよ」と、その男言った。
また別の日、それから数年経った後の話だが今度は奥さん先生が私の目の前にいるなか、突然後ろにいた旦那先生に肩を叩かれ、突然キスをされた。気持ちが悪かった。
声を出すことも、払いのけることも、ましてや彼女にこれを伝えることなんて出来なかった。
お世話になった大好きな奥さん先生を、私は裏切ってしまった、と思った。
そうしていつの間にか私の中で「なんでもないこと」と蓋をしたこの出来事は、
異性との性行為に対する罪悪感という形で表出していたのだ。
素直に刺激に気持ちよくなれなかったのも、行為に没頭できなかったのも、異性との性行為は大切な人への「裏切り行為」であり、罪悪感と深く関連付けられた「気持ちよくなっちゃいけない」行為になっていたからだったのだろう。
そしてそのことに、自分の無意識がかけた理性の蓋に、女の子とエッチして、素直に気持ちよくなって、純粋にセックスを楽しめたことから気づくことができた。
なんだ、なんだ、私のせいじゃなかったんだ!
気持ちよくなれないのも、責められてきたのも、全部自分が欠陥品だからではなく、過去の出来事が私を無意識に縛っていたからだったんだ!
そう気づいて、一気に心が楽になった。
気持ちいいことは好きなのに気持ちよくなれなくて、ずっとどうしてどうしてと困惑するしかなかったことの理由を見つけることで私は踊り出したいほどの納得と嬉しさに包まれた。
原因がわかったからと言って全ての問題が解決したわけでもなく、私は未だこの問題と向き合っている最中ではあるが、この原因を知れたことが自分にとって大きな救いにはなったのだ。
性的虐待をした、あの男を私は許さない。絶対に許さないが、きっと私はこの先もこの出来事を、毎年挨拶に伺う奥さん先生にはずっと言えないのだろう。
けれど、少しだけ前に進めた、それだけの話。
とりとめのない話に付き合ってくれてありがとう。
ドラゴンうんち
性的虐待はもちろん犯罪だけれども、合意のある大人同士だったとしても 「気持ちいい?」と聞くあたりが輪をかけて駄目だな 「気持ちいい?」と聞くべきタイミングというのは 明ら...