母の知り合いに出会し、相手がはじめて私に会う……とようなパターンにおいて、「親子で似てますね」とか「そっくり」とか言われると、母が憤慨するのほんと笑う。
「えぇー!? 全然似てないですよ。娘の方がかわいいでしょう!?」って言うのほんと笑う。
その場でははっきり言って全く笑えないどころか、遁走したくなるほど恥ずかしいが、あとからジワジワおかしい。
親の欲目以外の何物でもない反面、これこそが私のある程度の生きやすさの源でもあろうからかなり感謝もしている。
母も祖母にめっちゃ誉められてきたから、自覚できるコンプレックスがいかに多くても、そんな自分のことけっこう好きなんだろうと言っている。
母(はは)ちゃんは色が白いから何着ても似合う、化粧ばえがするって祖母のことば、祖母が亡くなって二十年経っても母は嬉しそうに話すし、母はずっとおしゃれや化粧をたのしんでいる。
私の方は、社会人になったり、真剣な男女交際などするようになってみて、世の中マジでいろんな人がいるということをはじめて知り、気持ちが打ちすえられるようなこともそれなりにおこった。
それを経てもふしぎと、それまで感じるともなく感じていた生きやすさはあまり減らず、そこで、自分は打たれ強く楽観的なたちであることにふと気づいた。
どうやら自分はそのたちによって気持ちを健やかに保ったり、気持ちを健やかに保つことで人間関係にあまり煩わされずにすんでいるようで、なるほど自分にとってはこれがほとんど唯一の世間や自分とうまくやる方法なんだなーと感得されてきた。
世の中には意に染まない他人を変えられる力がある人がいるのかもしれないけど、私はそうではないし、知略計略に長けた方でもないので、致し方なくと言う面もあるけど。
鈍感だから、社会人になる(辛いことが増える)まではっきり気づかなかったけど、将来やものごとをあまり悲観しなかったり、思い詰めることが少なかったりするのは、親が「あんたが大事なのは私の娘だから、つまりあんただから」と、ほぼ無条件で、内面外見とわず私自身をうべなっては味方になってきてくれたからなんだろう。
今は結婚して仕事も遠方でしてるけど、長い休みで久々に母と会い、あいかわらず私を普通のテンションで好きでいてくれる母にふれてそんなことを思い、一緒にポケGOをした。
母同様久々に会った友達は、下半期からとりあえず自分をささいなことでも褒めていくことにしたと言っていた。
顔にはなくそついてても、そんな自分を「うんっ、かわいい!」って思っていくとのこと。
さっそく「はなくそついててもかわいいうえに、ついてるのに気づいて偉すぎるしね」と乗っかっておいたし、私もあやかろうと思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20200728002106 就職できたら愛されて育ったことがポジティブに出て、こうなるんじゃないか