2020-07-25

芸術団体での思い出

その団体は、アーティスト代表になって運営していた。その代表の気分によって事務所雰囲気が変わった。不機嫌なときは、誰かがあたり散らされていた。対抗できるのは、副代表くらいだったが、副代表満身創痍だった。さらに、すべての事業企画代表がつくるのだけど、その企画が決まるのがいつも遅れ、事業はぎりぎりのタイミングで回していた。計画的に進めようと思っても、代表の頭の中にしか企画がないし、それも変わりがち。権限移譲する様子もない。代表の思いつきに合わせ、すべきことが変わっていた。そんなぎりぎりの中で回しているから、当たり前のようにトラブルが起きる。そうするとどうなるかというと、どう対処するか、というよりもまず、そもそもこれは○○の担当から、○○は何をやっていたのだ、と詰められる。実際には担当から少し離れた内容だから理不尽しか思えないし、過去に遡って詰められても困る。はじめから言ってほしい。急に担当にさせられて、よくわからないにも関わらず、手探りでどうにかしようとする。うまく行かなければ、また叱られる。そんなことの繰り返しが業務になっていた。

私は中学校ときに、いじりのようないじめのようなことを受けていた。普通から少しはずれたことをすると笑われる。普通は彼らの基準で決まる。過去の失敗を掘り返される。そうして、何も起こらない、目立たないことが目標になった。笑われるのが嫌だから、緊張してぎこちない行動が増えると、また失敗した。人の噂も七十五日と言うけれど、前の失敗がみんなの記憶から薄れることを常に願っていた。

ここでの仕事の仕方も同じになった。何も起こらないように意識し、祈りながら仕事をする。来館者のため、や、アーティストのため、というお題目はあるが、体が動かない。自分のことが嫌いになっていった。  

代表は、アーティストとしては素晴らしかったが組織運営はひどかった。日本場合、この団体以外の芸術団体でも、組織の体をした個人商店が少なくないのではないかと思う。私は、芸術に携わる仕事をしたかったが、そんな環境に耐えられず、別の業界で働くことになった。怒鳴られることの恐怖はしばらく続いたが、今はもう落ち着いている。

  • アーティストとしては素晴らしかったのって組織を作る前の話じゃない? もしくは自分を売り出すのがすごく上手いので、周りに騙されやすい人が集まってヨイショというのもよくある...

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