三浦春馬さんのニュースを見て以来、地獄の蓋が開いたように、自分の希死願望と向き合うことになって辛い。べつに本当に死ぬ勇気なんてないんだけれど、頭が何度も三浦さんのその場を思い浮かべてしまう。そして自分もそちら側にいけないだろうか、と願ってる自分に気づいて、いやそんなこと考えてもしょうがない時間の無駄だしやめようよ、と振り払う。その繰り返しが地味にこたえる。
ほんとに地味に、なんだけど。
特別彼のファンだったわけではないけれど、おそらく同世代の多くの人間と同じように、昔はイケメン俳優、今はポールアンドジョーのスーツが似合ってせかほしみたいなセンスのいい番組のMCができて舞台でも成功してる一皮向けた俳優さん、くらいの印象だった。
ただそういう成功者であるところの彼が自殺したという話を見て、ああなんだきっと自分だってできるじゃんって思えてしまう。
いろんな格差や貧困が広まるこの国で、仕事があってある程度恵まれた環境にいて友達だって親だっているのに、それでも自分はきっと死ぬまで理解されることはなく孤独で苦しいしこれ以上人生でほしいものやみたいものもなくてきっとこれ以上めちゃくちゃいい瞬間があるわけでもないんだよな、と思えて、誰もそばにいないことが苦しくてならない。26年間そうだったんだから今後もそうだよなあ、しょうがないよな、これでも恵まれてるほうなんだもんな。
死にたくても人間は死ねない、だから人生を楽しめるよう頑張るしかないよ、って自分に言い聞かせていたのに、三浦さんの訃報を聞いて以来、自分もできないのかなあ、と考えてしまって、できないよなって諦めることがつらい。できないことを願うこと自体もつらいし、youtubeもTwitterも三浦さんの顔写真が流れてきて、そのたび思いが湧いてくる。きりがない。忘れたいけど忘れられない。そのうち忘れられるだろうか。
どうでもうんこ
生きたくないを抱えて残りの人生いきるのつらいよ