ニートは「仕事は探している」と言う。言うだけなら誰にでもできるのだ。ニートはぼくたちが後ろにいると異様に気にするのだが、それはやましいこと、つまり働きもせずゲームをしているからに他ならない。勝手に断定しているのではなく、実際に常にゲームの画面が開いていて、ぼくたちはそれを見て見ないふりをする。「仕事なんて探してないでしょ」とは誰もツッコまないのだ。
一刻も早くニートに出て行ってほしいぼくは、職歴のほぼないアラフォーが職を得るにはどうしたらいいのか調べた。
ビッグイシューという雑誌を知っているだろうか。ざっくり言うとホームレスの方が社会復帰のために売っている雑誌である。ぼくはそういうものがあることを伝えたが、ニートは一向に出ていかない。
すぐに仕事をするのが無理ならと、寮付きの職業訓練校があると聞いてそれも提案したが、やはりニートは出ていかない。
働かずに(しかも親でもない人間に養ってもらって)食う飯はよほどうまいらしい。ぼくならみじめで、保険金を精一杯かけて死のうと思うけどな。それは嫌だから就活するけど。恥ずかしいという感情は知性の高い生き物にしか備わっていないらしいから、ニートは……つまりそういうことなんだろう。
何もしない親が親なら、働かずにいることを是としてうちに置いておく祖母も祖母だ。ぼくがニートに文句を言うとかばうし、それこそぼくが就職活動をしていたときに、交通費を貸してくれはしたが、ニートにおけるタバコ代のような、ぼくの自由に使えるお金(というと語弊があるような気もするが、ニュアンスとして遊ぶお金とかそういうものを想像してほしい)は出してくれなかった。
そんな仕打ちをしておきながら「あなたのことは好き」だなんてふざけたことをぬかす。DV夫が、散々暴力を振るった後に優しくして洗脳するのと同じだ。人を馬鹿にするのも大概にしてほしい。好きなのはニートだろう、ぼくのことが好きならニートを今すぐ追い出してほしい。
ぼくの言うことが過激だってことくらい、ぼく自身が一番よくわかっている。でも過激にならざるを得ないことが10年以上の長い間、思い出しきれないほどたくさんあって、ぼくはずっとそれに耐えてきた。
祖母は「私が死んだら、ニートはこの家にいられなくなるからね」と言う。ぼくは祖母とは暮らしたいが、ニートとは暮らしたくない。ニートが出て行くときが祖母が死ぬときだなんて許せない。死ぬなら役立たずのニートが死ねばいいのだ。死にたくないなら早く仕事に就いて出ていけばいいだけの話である。
ぼくがこのことについて友人に愚痴を言うと「家族の恥を……」と、家族は言う。恥だと理解しているなら、早くニートを更生させるべきなのだ。そういう努力もせずに、早く追い出してというぼくを、家族は「きちがい」だと言う。
家族という狭い世間で、ぼくはきちがいかもしれない。ニートを養うという常識を持ち合わせていないから。
ヘタクソが!増田やめちまえ!!!