2020-07-14

創作オタク承認欲求ってそんなに駄目か?

はじめに

創作界隈(一次二次限らず)において、創作者の承認欲求を何か不純なものとして扱ったり、それを持つ創作者を下位のものとして扱う雰囲気があるがそれが附に落ちない。

色々なテーマを混ぜこぜにして、「創作者は創作欲のみを持つべきで、承認欲求を持たないべき(小さい方が好ましい)」になってしまっている気がするので、何故こうなっているのかを考えたい:

1.そもそもここでいう承認欲求とは

言葉定義

wiki先生曰く、

承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬自尊欲求」とも呼ばれる。」

詳しくはWikipediaを読んでもらえればわかるが(投げ)、確かに承認欲求があまりに大きいとお金地位ばかりを追いかけて幸せになれないが、そもそも承認欲求自体マズロー基本的欲求でも出てくる、人間として当たり前の欲求である

また一般的認知度の高い欲求である一方、その厳密な分類は多岐に渡る。(詳しくはwikiへ)


オタク文脈承認欲求

ここで、オタク文脈で語られる"承認欲求"とは、大体以下に挙げられるものだと思われる:


これらがどのような承認欲求に当たるかというと、

にあたると考えられる。


よって本ログで以降"承認欲求"と記載した場合は、主に他者承認、対等・上位承認を示すと思ってほしい。


2.創作自身創作欲と承認欲求

創作欲の定義

創作欲について、weblio辞書では以下のように定義されている:

文芸作品絵画などの芸術作品などを創作しようという意欲や情熱意味する表現


まり、なんの利害も考えず、ただ何となく創作者が自分の想いや想像を形にしてみたいと思う、その最初シンプル欲求意味するのだろう。

今回のオタク言説(アンチ承認欲求)でよく出てくる、"純粋創作欲"とは概ねこれを意味するのだろうと思う。


創作欲と承認欲求

人が絵や小説、またその他の創作物を作り始める時は、最初はこの欲に突き動かされて作るのかもしれない。

しかし、その作品を何らかの形(SNSへの投稿など)で発表しポジティブフィードバックが返ってくると、またそれを報酬(目的)とした創作欲求がでてくることは、人間として至極当たり前なことではないだろうか。

これは"純粋創作欲"からは外れて承認欲求の域に入ってしまうわけだが、創作者にとって何の問題もないし、健全欲求として創作を推進させると思う。


承認欲求問題か?

これが問題になってくるとすればこの承認欲求肥大化し、創作者の活動や心身に害を及ぼし始めた時だろう。

実際、色んな創作者(男性向け・女性向け問わず)の増田承認欲求により破滅した旨のログを書いているし、それらを目にしたこともある。


ただそれはあくま承認欲求(やその他の欲求感情)がいきすぎてしまった一部の例であって、これらの例を掲げて「創作者に不純な承認欲求不要」とまで言ってしまうと、それは本質から"ズレた"言説だなあと感じる。


3.外部から求められる"創作者"像

ここで、創作者にとって承認欲求のものが害かどうかという問題に加えて、「外部から求められる"創作者"の像の問題」が絡んできてもっとめちゃくちゃになる。

まり読み手書き手承認欲求の所持を認めたがらないという問題である


こうなる原因はいくつかあると思っていて、例えば以下が挙げられる:


これらの要素が混ざり合って、「(読み手にとって)創作者は承認欲求を持ってない方が好ましいナァ」という気持ち言葉が生まれるのだろう。

それらの読み手側の気持ち否定しない(支持もしない)が、問題は、創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題では、承認欲求とはそもそも何か、そしてそれが誰の為に好ましくないのかという部分が曖昧なまま、なんとなく承認欲求は良くないし汚い、といった雰囲気が醸成されているところにあるのではないだろうか。


まとめ

なんとなく"承認欲求"というワード自体が含蓄する否定的なニュアンスを分解しないまま、なんとなく創作者にとって承認欲求はない方が良い的な雰囲気になっているのが嫌で解体してみた。


結論としては

というありきたりなものに落ち着いたが、「創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題解体」という目的は達成できたので、ここまでにする。

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