朝起きて、鏡を見て、死にたいと思う。
生まれてこなければよかったと思う。
こんな醜い容姿に生まれてこなければこんな思いはせずに済んだ。
人は見た目じゃないなんて嘘だよ。
見た目がよければ生きやすいに決まっている。
味方はいなかった。
教師もいじめている側の肩を持った。あいつはそんなことするやつじゃないと思うけどな。一生その言葉を忘れることはない。
どうしてわたしの味方になってくれなかった?わたしが醜いから?醜いやつの言うことに信憑性はない?妬んでありもしない話をでっち上げたと思った?
毎朝鏡を見て、死にたいと思った。
生まれてこなければよかったと思った。
何度席替えをしても、必ず机を離された。
昼休み中、ずっと、トイレの個室で過ごした。教室に戻ろうとしたら、ドアを内側から押さえられて入れなかった。
みんな笑っていた。机を離した人たちも。わたしを汚い、という人たちも。それを聞いて一緒に笑っている人たちも。みんな同じ顔をしていた。
毎日マスクをするようになった。マスクがないと外に出られなくなった。卒業式もマスクをしたまま出席した。マスクをしていない写真は殆ど残っていないと思う。
高校生の間は、まあ陰でいろいろ言われていたかもしれないけれど、容姿を理由にいじめられなかったから生きやすかった。マスクを外した。外すことができた。
3年間だけは、中学生の頃ほど、そして今ほど卑屈ではない人間でいられた。
この地獄は一生続くわけじゃないんだと思えた。終わったのかもしれないなんて思った。
逃れられたのはその3年間だけだった。
浪人することになって、予備校に通い始めた。また、はじまった。結局、どこに行っても、いつまで経っても、わたしは一生逃れられない。この顔が原因なんだから、普通に生きてたら顔なんて変わらないんだから、当たり前のことなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今でも他人の笑い声が怖い。他人の視線が怖い。電車に乗っていて、若い人たちが向かいに座って、笑っていると、わたしのことを笑ってるんじゃないかと思って消えていなくなりたいと思う。
もうそろそろ卒業の時期だけれど、大学生になって、一人も友達はできなかった。卒業できるか分からないけれど、卒業式には行かない。高い金払って、ブスが袴を着て、写真に残すことに何の意味があるんだろう?
卒業アルバムの個人写真も撮りにいかなかった。卒業アルバムは小学校から高校のぶんまで、ぜんぶ、自分の顔を塗り潰した。実家に帰省する度、飾られている七五三の写真や昔の自分の写真を努めて視界に入れないようにしていた。燃やしてしまいたかった。
サークルもすぐに幽霊部員になった。誰も醜い容姿の卑屈な人間と友達にはなりたくない。わたしだってわたしみたいな人間と友達になりたくないと思う。
時間が経てば治るよと言ってくれた人もいたけど、12か13の頃から汚い顔は、22になっても汚いままだ。夏になったら23になるけど、23になっても24になってもきっと汚いままだ。
いろんな治療を受けたし、いいと言われる基礎化粧品を片っ端から試したけど、鏡を見ると依然汚い顔が写っている。
こんなことなら子供のうちに死んでおけばよかった。自分が醜いことを知る前に死んでおけばよかった。小さいうちはブスだろうがなんだろうが生きてるだけで可愛がられてそれなりに自己肯定感を保てる。そのまま死ねばよかった。
経済的に厳しいから家賃と学費以外は無理と言われて、貸与型の奨学金を申し込んだことを後から知らされた。学費と家賃の足しにするために申し込んだから、とわたしの元には振り込まれない。
奨学金返済するのが大変だったら結婚して旦那に返済して貰え、と父親に言われた。
びっくりした。結婚できると思ってるのか。
醜い、卑屈で、自己肯定感の低い人間が、誰かと一緒になれると本気で思ってるんだろうか。
そもそも、この家庭で育って、家族や家庭というものに憧れると思ってるのがすごいよ。しあわせな家庭のかたちというものが分からない。
望まれるかたちに生まれることが出来なかった。治らなかった。なれなかった。世間様のしあわせに当てはまる未来は一生こない。いつか、なんてものは永遠にこない。ちゃんと分かっている。
自己肯定感が極端に低い。他のだれかのことを思える心の広さもない。誰かに優しくされても穿った見方しかできない。
本当に性格が悪い。
経済的に厳しいのも、ひとりなのも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、自分のせいだ。
お金に余裕がないと言っていたけれど、帰省したとき、100万以上かけて壁の塗装をするんだと言っていた。どの色がいいと思う?なんて聞かれた。お金に余裕がないんじゃなくて、わたしにお金をかけたくないだけだ。ショックだった。金銭的に負担をかけられないから、と終電逃すまで残業するようなバイトに耐え忍んで、土地柄客層が悪くて当たり散らされるのにも耐えてニコニコ接客して、全部アホだと思った。奨学金という借金を背負ったのも、大学に進学したのも間違いだったと思った。
240万の借金。240万あったら、わたしはこの顔から逃れられたのに。
わたしが醜くなければ違った?かわいい娘だったら、自己肯定感を保てるように育ててくれた?
もしそうしてくれなかったとしても、醜くなければもっと稼ぐ方法はいくらでもあった。世の中顔だから。容姿が優れている子がそうして稼いでるのをたくさん見てきたし今も見ている。
鏡を見る度死にたいと思う。生まれてこなければよかったと思う。
わたしがわたしじゃなければ、望まれるかたちに生まれていたら、今頃こうなってはいなかった。
まともな人間関係を築けていたはずだった。
大学生になったら楽しいってみんな言うから期待していた、間違ってた。みんなはまともだからわたしは当てはまらないってちょっと考えたら分かったはずなのに。
生まれてこなければよかったと思う。
はやく沈みたいと思う。もう終わりたいと思う。続けたところで同じことの繰り返し、もういい。どこまで遡れば変わるかなってときどき思うけど、どこからやり直しても結局こうなるんだから生まれてこなければよかったと思う。ぜんぶ今更だ。手遅れだ。
もうなにもかも嫌だ、
一生惨めな負け犬だって分かってんのにどうしてまだ続けなきゃならない?
鏡を見る度死にたいと思う。
こんな、こんなふうに、劣等感抱えて、誰に対しても何に対しても妬んで嫉んで、こんな生き方したくなかった。
醜い容姿に生まれた人間は劣等感抱えて生きてくしかないんだよ。一生。ずうっと。ずっとだよ。どんな顔に産まれるかなんて選べないし金かけない限りどうにもならないのに。
わたしが生まれてくる前にわたしの容姿を提示されてたらわたしは生まれてくることを選ばなかった。
毎朝、毎晩、死にたいと思う。すべてが妬ましいと思う。はやく死んでくれと思う。
何もかも自分のせいならはやく死んだらいいのだと思う。
鏡を見る度死にたいと思う。
こんなことならと思う。
わたしは一生、親を許せないと思う。
母親は綺麗な顔をしている。彫りが深くて、幅広の二重で、鼻も団子鼻じゃなくて小さくて高くて、唇も薄くて、肌も汚くない。
小学生の頃からお母さん綺麗だねって言われる度に、言葉の裏にお母さん「は」綺麗なのに、ってのが透けてて嫌だった。
言葉の裏を邪推してしまう自分の卑屈さが嫌だった。ほんとはそんな意味で言ったんじゃなかったとしてもそうとしか聞こえなかった。
母親があんな男と結婚して子供を産んだりしなければ今のわたしの苦しみはなかった。
10年前、肌が汚くなり始めたころ、あの男のクレーターだらけの汚い肌を見て、ああなりたくないと思った。歳を重ねる度にどんどん似ていく。死にたい。あの男に似ていると思う度に吐きそうになる。望んでもいない50%の遺伝子はこうして醜い形で現れた。
親を憎むのはお門違いと言われても、親不孝と言われても何と言われても許せない。
彼氏はいないの?〇〇ちゃん結婚したんだって、悪気なく言っているんだろうけど、なんでそんなこと言うんだって思う。娘がどんな気持ちで生きてきて、生きていて、それを聞いているか分かんないんだろうね。憎い。生まれてこなければよかったと何度も、何度も何度も思って生きてきた人間の気持ちは綺麗な顔のアンタには分からない。一生分からないよ。
もう十分だ、いつかは永遠にこない、
なにもかも嫌、ぜんぶ羨ましくて妬ましくていや
ブスは出生前に間引かれる世の中になればいいと思う。第二第三のわたしが生まれなければいいなと思う。こんな思いをしなくて済むならそのほうがいいに決まってる。