ある記事を読みました。
内容は識者にメタクソに言われるようなものでしたが、その論調は整然としており口調も丁寧でした。
おそらく著者は単に無知なだけであって、自分の発話意図が誤解を招かないように言葉を尽くしている印象を受けました。
この記事を読了し、まず思った第一感は「自分がなぜそう思うに至ったかについて言葉を尽くしている。誠実な論調で好感が持てる。」といったものでした。
そこでふと思いました。「論調が誠実で著者に好感を持っているので、今の私はその内容に理解を示しやすくなっているのではないか?」と。
そしてこうも思いました。私の感想はトーン・ポリシングと近い位置にいるのではないかとも。
そのような感想を持つ私はトーン・ポリシングを行いやすい人間かもしれないと。
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トーン・ポリシングのことを「口調・論調を非難することで内容の妥当性を損なわせる行為」と理解しています。
その行為は論点をずらすことになるため避けるべきだ……という方針を私は漠然と採用しています。
これを便宜的にこの日記では「ネガティブ・トーン・ポリシング」と呼ぶことにします。
では、「口調・論調を『賞賛』することで発言の妥当性をプラスの方向に歪める行為」は避けるべきなのでしょうか?
これを便宜的にこの日記では「ポジティブ・トーン・ポリシング」と呼ぶことにします。
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実際には私は「論調が誠実で著者に好感が持てる」と思っただけです。
では「言葉を尽くしており、論調が誠実な点は素晴らしい」と述べた時点ではどうでしょうか?
さらに「言葉を尽くしており、論調が誠実な点は素晴らしい……ので、皆もあまり辛辣な言葉を投げないでもいいんじゃないですか?きっと彼は話せばわかる人ですよ」と述べた時点ではどうでしょうか?
単に「言い方が気に食わない」と一言感想を述べれば「トーン・ポリシングだ!」と非難されるかもしれません。
では「言い方が誠実な点は評価できる」という一言感想は「トーン・ポリシングだ!」と非難されうるのでしょうか?
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ポジティブ・トーン・ポリシングが非難されるとすれば、その理由はなぜでしょうか。
ネガティブ・トーン・ポリシングの場合と同じく論点をずらすからでしょうか?
ただ、ポジティブとネガティブでは論点をずらしたそのあとの展開が異なります。
ネガティブの場合は論点をずらし、内容を取り合わないようにする点が問題なのでしょう。
ポジティブの場合は論点をずらし、内容を耳に聞き入れやすくする点が問題なのでしょう。……それが問題なのであるならば。
長々と書いてはいますが、結局ポジティブ・トーン・ポリシングは問題でも何でもないのでしょうか?
ネガティブの方が非難されるシチュエーションは、マイノリティの強い口調の意見がネガティブ・トーン・ポリシングによって黙殺される場面が例として頭に浮かびます。
ではポジティブの方が問題となる場面は?私が見てきた狭い世間の中で、それが問題だと言われたことはないような気がします。
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少なくとも私は今回読後に論調・口調についての感想が第一感として浮かびました。
たまたま今回はポジティブな感想でしたが、次もそうとは限りません。結局私は「そういう」人間なのでしょう。
議題ではなく人柄、口調、論調……そういったものにまず心をうたれる人間だということです。
少なくとも言えることは、論調・口調についての感想が第一感として浮かんだならば、それがポジティブな感想だったとしても「いや、内容に目を向けよ」と自戒する意識付けが私の中に生まれたことは有意義だったと言っていいでしょう。
わかりにくい 0点