未だに中学生の記憶を思い出しては夏の入道雲のようにモクモクと怒っている.
特に中2,中3の担任の先生は自分の部活の顧問でもあり,強く当たられた記憶がある.
典型的な管理教育と体育会系のノリの教員で,僕は当時から反発していた.しかし中学生である.
その言いくるめられたときの悔しさを未だに思い出している.
授業の予定と宿題,連絡事項とともに5~10行程度の日記(生活記録)を書くのである.それを担任に提出し,担任は生活記録に対してコメントを書くことが多い.
現在では生活ノートはTwitterで凝ったイラストや文章と教員の反応がセットになった画像がバズることもあるし,
担任とのやりとりが小説家を志すきっかけになった人もいるらしいので全国の学校で広く行われているのだろう.
ただ,私はもともと,小学生の頃から生活ノートが苦手だったこともあり,中学生のときもずっとやらないでいた.
中学生の頃の私はいろいろと反発するタイプだったので,よく教員からの呼び出しを受け,その際,生活ノートの提出がないこともついでにとがめられたものだ.
担任は
「みんなきちんと提出していて,君だけが提出しなくていい理由なんてない」
といったことを何度も主張した.
今思いつく反論は
「教育の名の下に異常なあるいは,非科学的な,不合理な,非人道的な,反社会的なことが行われていたとき,声をあげる人でありたい」
「生徒に悩みを書いてもらうことがあるといいながら,学級通信に引用したり,生徒に返却を手伝わせたり,プライバシーは確保されていないじゃないか.」
「どんなことでも書いてといいながら,学級通信にそのまま書き写したり,担任が私の記録に対してコメントするなんて,生徒側が秘密にしてほしいと考えているのに担任の勝手な判断で書き写されるリスクだってある.」
「『はー。』だけが書かれた生徒の生活記録さえ学級通信に書き写されている.」
「書き写すだけで学級通信書いたつもりになっているのは時間の無駄.教員の労働時間は税金である.無駄使いするな.」
「読者が想定できない.」