https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
なんか上の記事で(長いので全部読んでないけど)NL(ノーマルラブ)って呼び方は差別だってあって、よくわからんかった。
俺は同性愛はノーマルかアブノーマルかでいうと、アブノーマルだと思うけど。
一応用語の説明をしとくけど、「ノーマル」は「正常」とかいう意味で、「アブノーマル」は「異常」とか「正常でない」という意味で俺は使っている。
何をもって異性愛がノーマルで、同性愛がアブノーマルなのかという話だけれども、人の自然交配が男女の組み合わせだからだと考えている。俺ら人は雌雄同体のウミウシでもなければシダ植物でもないので、人は男女の組み合わせで生殖活動するのが生物としてのノーマルだろう。
「雌雄同体の生物もいるのだから、異性愛が『ノーマル』とは言い切れない」という反論があるかもしれない。けれど俺は人間の話をしている。ウミウシにとって同性愛は「ノーマル」でも、人にとっては違うだろう。
だからといってアブノーマルを差別しろとか、迫害しようってわけでもない。好きな生き方をしてもいいし、人の恋路や生き方にとやかく言う気はない。BLの同人誌書けばいいし、誰と誰のカップリングでオナニーしようが、その人の勝手だろう。
「男が男を好きになろうが、別にいいんじゃない?(まあ変だけど)」というスタンスである。
そもそもすべてにおいて「ノーマル」なんて人はいない。同性愛はもちろん、先天的にも、後天的にも「障害」を持つ人がいるだろう。指が4本しかない人や、目が見えない人。これらは人としての本来の機能として「正常」ではない。が、だからといってなんだというのだろう。正常ではないからと言う理由で迫害を受ける謂れはないし、多様な生き方は許されるべきだ。社会はアブノーマルを受け入れるべきだ。俺だってロリコンだし。
しかしノーマルかアブノーマルかでいったら、「アブノーマル」だろう、という話である。同性愛も、指が4本しかない人も、目が見えない人も、ロリコンもアブノーマルだ。
正直言って、「アブノーマルをノーマルの仲間入りにしろ」は、言葉遊びにしかならないのでは?
たとえば同性愛をノーマルの仲間入りにしたとして、子供ができますか?という話。「子供を作らない選択肢もある」という話ではなく、「iPS細胞でいつかできるようになる」という話でもなく、「自然交配で作ることができるか?」という話である。可能か不可能かの話である。生物は生殖活動ができるのがノーマルなので、それができないのはアブノーマルだ。いくらノーマル呼びにこだわったところでだ。
異性愛でも子供ができないという人もいる。それもアブノーマルだ。ちなみに俺は精子が少ないと言われたので、病院に通っている。多くの人は病院に通わなくても子供ができるだろうけど、俺は精子の量や活動が「異常値」なので、通院しなければならないってわけだ。
もし俺が「あなたの精子が少ないのも、別に変なことではなく、ノーマルですよ」と言ってもらえたところで、「は?」という気しかしない。
「アブノーマルでも受け入れられる社会」と、「アブノーマルをノーマルの仲間入りにする社会」では、全然意味合いが異なるのには注意したい。
前者はアブノーマルはアブノーマルのまま受け入れられるのに対し、後者はアブノーマルにノーマルの機能を要請されかねない。あるいはノーマルの再定義が必要になる。そんなのめんどくせ。俺は受け入れられてさえいれば、アブノーマルのままでいいんだよ。
もしかして「普通」という概念をなくそうとしているのだろうか? たしかに普通という概念がなくなれば、すべてのものはありのままにだけども、やっぱり言葉遊びの域を出ないのでは?
自分も早くマジョリティに入って他の少数派を弾圧したいってだけだろ
カトリック教会「子作りしないコンドームセックス、オーラルセックスはアブノーマルです」 こうですかわかりません
全然違います
生殖ベースで通常か異常か決めるのも定義(元増田の言う言葉遊び)の問題でしかないのでは? 差別をやめましょうっていうのは基本的に、誰かに都合の悪い定義はやめましょうってこと...
そもそもnoteの人自身に差別意識があるから気になるだけなんだと思う。