2020-05-10

父亡くなる

私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする

 

末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った

昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た

 

誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう

暗く静かな道でバクバク打つ鼓動が妙に痛い

実家は近いか電話来てすぐに着けた

 

人工肛門にしてからどんどん痩せていって、

徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた

入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね

 

誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中

掌の中で命が消えていく哀しい時間

 

段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった

 

その時を迎えた父は、寝た様に見えた

ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに

だけど、違う

腹膜が1mmも動いてない

それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した

開いた口と閉じた瞼

苦悶さは一切見えない

モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ

  

私が電話受けて実家着いてから10分ぐらいで父は逝った

まるで着くの待っててくれたみたいだ

昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?

それぐらい不思議な早さだった

 

末期がんの診断出て2年

思っていたよりも長く父は生きた

胃がん浸潤大腸切除

その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて

末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホ家事料理を始めた

引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネット競馬したりLINEyoutube視聴やポケモンGOもしだした

炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った

茶碗蒸しプリンも良く作って食べさせてくれた

庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい

あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった

 

今回は自宅で看取れたので良かったと思う

心電図モニタは母の希望でつけなかった

祖父の時は病院心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う

医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う

 

コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た

 

ありがとうありがとう

って母がずっと言っていた

…お父さん

私もありがとうって思ってるよ

 

朝が来た

真っ白な光の風

暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た

父がいなくなってから初めての一日が始まる

しっかり務めるよ

 

 

火葬をしてきたので追記

 

日経ってから実家へ行った

一日後に見た父はダブルスーツ着せてもらえてて安置してもらってた

顔は一日前に見たままだった

胸には花束が載っていた

父が庭で育ててた花で作った花束

ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ

手摘みの花束ってのがとても我が家らしいなと思った

 

もう一度、声をかける

訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった

 

出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった

線香をあげてから、頭を撫でる

暖かかった頭

髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体

わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった

 

斎場

斎場は静かで少し薄暗く、涼しかったので落ち着いて過ごせた

 

先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた

車はクラウン

ああ、トヨタなんだ

父はレンタカートヨタって決めてるぐらいトヨタ絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった

(偶然なのか帰りに捕まえたタクシートヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)

 

白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた

ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた

庭いじりが好きで実家も深い山の中の人から、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく

注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく

ダブルスーツパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった

 

余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった

知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った

 

粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる

みんなで父にお礼を言った

ありがとう がんばったね ありがとう

泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり

各々の別れ方だった

 

そして、横、縦と閉まっていく扉

金属製の重い境界の扉

かにかにしめやかに

その時は終わった

 

時間ぐらいして、燃え終えた父が出てきた

乾いた白いバラバラで粉々の崩れたただの物になった身体

それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった

物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える

ようやく終わったなー。そんな感じ

 

真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった

 

三週間前ホスピス入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父

そこからゆっくりゆっくりかに逝く様に準備をしてたそうだ

整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送やすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分意識で切り替えたとも聞いた

吐き気が酷かったんだって

 

二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事

祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う

言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う

 

私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした

 

コメントありがとうございました

モルヒネ意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました

  • 看取ることができてよかったな。 きっとお父さんも喜んでるよ。 お疲れ様でした。

    • 他人の気持ちを勝手に決めつけるな偽善者のクズ

    • 横だけどなんか変なの湧いちゃってるね。 ドンマイ。

      • 会ったことも会話したこともない他人の気持ちをわかっちゃってるやつはキチガイだし死ぬべきでしょ

  • とてもいい最期を迎えさせてあげることができたように見える。 お疲れ様でした。

  • https://anond.hatelabo.jp/20200510054358 これです 自分の振り返り用に書いた物です ここの使い方が良く判ってないので繋げ方がおかしかったらすみません

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