https://anond.hatelabo.jp/20200507171805
それが社会ってもんだ、みたいに賢しらに語る奴も分かる。頑張って頑張って、散々エネルギーを費やして社会に適応すると、文句はあっても余計に今の社会を維持したくなるもんな。変化したらそれに適応するために、普通の奴らよりも圧倒的に、異常なまでの、大量のエネルギーが必要だもんな。「普通」のやつらが羨ましいよな。
だからこそ、自分が社会とは逸脱した存在だ、「障害者」だ、と自認するにはめちゃくちゃなエネルギーが要るんだ。特に、精神的なほうでの障害で認めるには、な。現在の社会のクソみたいなマウンティング競争が全く肌に合わなくて、それに合わないと認めて競争から降りる、社会から逸脱した「障害者」と認めなきゃならない、そんな状態があるんだよ。
いくらでも底辺の巣窟がある中で、わざわざはてなに住んでるような賢いマウンティング森の賢者の皆様なら聞いたことがあるだろう、「障害は社会が作るもの」と。
人間の最も優れた能力、自然界の中で最も弱い葦のような存在である人間が、自然に対抗できる能力として「社会」という共同体がある。社会はすごいぞ。かっこいいぞ。
で、自然に敵なしみたいなクソほど傲慢な自認を得た社会は、いつしか社会からの逸脱を許さなくなった。そこで生まれた概念が「障害」だ。社会を構築できる自分が「正常」「普通」「当然」で、社会に適応できない奴を「障害」「クズ」「怠け者」とみなす。
そこで頭がいい人類が考え出した概念が、「人権」なのよ。人として生まれた時点で人としての権利がある。社会から逸脱してても、人権はある。
KANとか萩本欽一とか馬鹿な人権派モドキが「愛は勝つ」とか「愛は地球を救う」とか言うけど、愛なんてゴミよ。クソよ。偏りまくったヘイトと同等のものよ。愛なんて無くていい、無いほうが良い。
「人権は勝つ」、これだけ覚えて帰ってくれ。君がどれだけ目の前の人が嫌いでも、憎くても、人権はそれに勝る。人権は人を救う。