主人公の野猿もといカタリナが良き登場人物たちを敵に回すことなく、むしろ好感度MAXにココロを掴んでいく鮮やかな流れが魅力的だ
彼女が敏腕営業マンのように狡猾に篭絡しているなら、あら恐ろしいわね(これはアルテの高級娼婦)、と言っていられるが、あくまで自然体で好かれていることが物語の快感を演出している
だけど、主人公のあまりの人たらしっぷりに、視聴していて歯が浮くような気分になる
なぜかというと、やっぱり心のどこかで、何かが欠けた相手なら上手くすれば自分に心を開いてくれるんじゃないか、と思っている自分に気づくからなんだ
現実はそうじゃない、他人が埋めてほしいものなんて簡単にわからない
そんなことを考えていると、はめふらはストレスフリーで視聴者の原始的な願望に訴えかけるという意味で、俺TUEEEの亜種なんじゃないか
ああなるほど、はめふらをみるとファストフード的快感があるのは公正世界仮説が満たされるからなのか もやもやしてたけど、すごくすっきりした ありがとう 現実で満たされない公正...