多分たくさんの人が議論してきたんだと思うんだけど、右打なのにバッターの視線方向基準だと左のボックスに入っている。
定義ではピッチャー側から見て右側にいたら右打、左側なら左打ということになるんだろうけど、これは詭弁の範疇とも言える。
例えば対面してご飯食べていたとして(今は新型コロナが流行っているから絶対にしちゃダメ)、相手から見て左側で箸を持っているから貴方は左で箸を持っています、お箸を持つのが左側でお茶碗が右です、と言われている様なもんだ。
投手主観で右と左とを定めるのはちょっとおかしいのではという話。
もちろん俺ももうおっさんだからこういう割り切れない色々ってのは社会にあるってのは知ってる。
上司の顔を立てなきゃならん時とかもあるし、家庭の家事の分担の細かいところの色々だってそうだ。
おそらく、投手に対してバッターが正対せず、ある種横向きの様な形でバッティングをする関係でおかしなことになっているのだろう。
もちろん、右利きの人が多く入りがちなバッターボックスを右打席とする処理は非常に合理的だ。
だがよく考えればそこは左側とも言いうるのだ。
いったい私たちは何を持って右打、左打を認識しているのか。実際にはかなりあやふやだ。
いっそのこと、もっと身体性に即したより科学的な定義をするべきかもしれない。
たとえばメートルは、その原初においては地球地理、広域測量の先進国フランスにおいて議論され、
として定義された。地球をまるっと定義で使ってしまう格好の良さがここにはあるだろう。
ところが地球がまんまるじゃなく結構楕円だってことがわかってきた。
以前の定義から作られたメートル原器をもとによりブレの少ない定義が出現した。現在では昭和58年に定められた
とされている。もしかしたらさらにより良い定義がある場合は、これすらも変わっていくだろう。
野球の打席についてもこれと同じことをするべきなのかもしれない。
野球の打ち方に関する遺伝子を全て明らかにし、この遺伝子を持つ人間は、コーチに左打ちになれ! と言われない限りいわゆる右打席に入る。みたいな測定を、3歳児健診のときにしてしまえばいい。これで、右打か左打かを投手主観でなく、自分の身体性から述べることができるだろう。遺伝子で決まっているからこちらの打席に入る、というわけだ。
もちろんこれは、両打の可能性を否定しない。どちらの打席も平準以上に得意だろう、という結果も出るだろうし、あるいは野球に向いてないかも、でもどっちかといえばいわゆる右打の方が打てるかな? みたいな人もいるだろう。