2020-04-23

10万円一律給付の唯一の目的は「生存権保証である

したがって、議員公務員給付する必要はない。経済的に余裕のある人が辞退するのは妥当であり、特に他人干渉することではない。

まず、経済で人は死ぬ失業者数と自殺者数の相関を見れば明らかだ。単に「生活が苦しくなる」という話ではなく、人が死ぬ。当然、これは生存権侵害であり、政策によりこれを救済する必要がある。経済弱者は、今日資金が付きて死を選ぶかもしれない。一日も早く、生活費を手にする必要がある。だから、一律給付実施された。給付が一日早ければ、何人か、命が助かる可能性がある。だから、多少給付金額無駄になっても、対象を選定する手間をかけず、一律給付したというだけのことだ。「生存権侵害されている」とまでは言えないレベルの人は、給付金を受け取ろうが辞退しようがどうでもいい話だ。逆に、「生存権侵害されている」と言えるレベルの人に対し給付金額が増えれば、それだけ助かる命が増える可能性がある。

ここで、日本政府の財源は限られている。もともと財政難で、どこにも金は余っていない。昔の日本なら、国債発行と経済成長でなんとかできただろうが、衰退国家では不可能だ。成長国家では、借金はするだけお得だ(例えば、100兆円の借金は、7%の成長を続ければ,10年後には50兆円相当の税で返済できる)が、衰退国家ではその逆だ。つまり、今年使った金額以上の増税が将来的に必要になる。全ての課題に対し「国家が金を出せばいい」というのは,非常に危険だ。これから日本は、新しく何かに金を使うためには、替わりに何かを捨てる必要がある。予算の使い道について、A案・B案を冷静に比較する必要がある。

今、A案は「議員公務員も含めて一律給付」だ。B案は「議員公務員には給付しない。その分の財源を貧困層向けの追加の給付金に回す」だ。公務員給与原理的に保障されているとはいえA案生活が助かる人もいるだろう。A案理想的に見える。しかし、B案で助かる命に比べれば、相対的重要度の低い話だ。目の前の現象公務員への給付金額)だけでなく、その金で替わりに何ができるか(貧困層への給付金額増額等)を常に考える必要がある。

コロナ対策を頑張っている公務員医療関係者にも、報奨金として報いるべきだ」という論点的外れだ。もちろん関係者に報いること自体必要だ。一方で、今、急いで一律に報奨金を出す必要性はどこにもない。逆に、時間があれば、報奨対象者を選定することができる。当たり前だが、現在でも大半の公務員コロナ関係ない通常業務を行っていて、コロナ対策を行っているのは少数派である。報奨金の対象限定することができれば、その分の予算が浮く。なるべく広く公務員に報いたいという気持ちもあるだろうが、その金で替わりに救える命があるということを理解する必要がある。したがって、一律給付金は報奨金として扱われるべきでないし、公務員給付対象に含める理由にはならない。

また、一律給付景気対策だと勘違いしている人も多い。確かに景気対策として効果があれば、経済死者数も減少するだろう。しかし、経済全体がほぼストップしたこタイミングで、個人消費が増えたところで乗数効果は小さく、景気対策としての効果は極めて限定である。この給付金が景気対策だと真面目に考えている人はどこにもいない。もちろん10万円を飲食店使用すれば、その店自体は助かるかもしれない。しかし、その金の大半はその飲食店の貯蓄になり、日本経済全体を刺激しない。ここでもやはり、その10万円で替わりに救えた命があったかもしれない、ということが重要だ。

以上を考えると、生活が困窮していない人が、給付を辞退することは妥当である別に辞退が美徳だとかい寒いセンスではない。財源が相対的重要だと考えるから辞退するだけである別に賛同しろとは思わない。一方で、「辞退は悪だ、同調圧力だ、寄付しろ」などと言って他人が口出しすることでもない(それ自体同調圧力だと思わないんだろうか)。そもそも同調圧力程度で「自分も辞退しようかな」と思う程度に余裕のある人は、給付されようがされまいが、最初からどうでもいい話だ。支援団体等に寄付するのもいいだろうが、基本的支援団体ミクロローカル問題対処することが得意だ。日本全国に多様な困窮がある現状で、支援団体NPOお金を渡したところで、果たしてどの程度の範囲カバーできるか疑問だ。緊急事態国民全体の生存権保障するには、政府役割が最重要だ。

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