と、思った。
夜、尿意をこらえながら帰途を急いでいたところ、南アジアの方と思しき中年のご婦人から話しかけられた。
仰るには「荷物が重いので持ってくれませんか」。
どこまででしょうか、と尋ねると「まっすぐ行ったところのファミマまで」。まっすぐ行ってもファミマはありません、と言うと「すぐ近くのファミマまで」と。「すぐ近くのファミマとはどこでしょうか」と言うと「もう良いです」と。
その時は漏らす危険から脱せたと一時の喜びがあったが、尿意から脱した後で、後悔の念がやってきた。
「まっすぐ行ったところのファミマまで」と言われた段階で、この人は怪しいと思ってしまった。そんなものはないからだ。その疑念が伝わってしまったのだろう。
しかし、母語ではない言葉で、彼女は表現を誤ったのかもしれない。その後の「すぐ近くのファミマ」が真意だったのかもしれない。
たぶん私も、母語ではない言葉を必要とする場所でそのようになったら、諦めて「もう良いです」と言うかもしれない。
「尿意を我慢しているのです」ということを面倒がらずに説明して、近くの公園で済ませて手伝うべきだったのではないか。