2020-03-30

今思えば、100日後に死ぬワニの広告戦略は最善手だったのかもしれない

まだ覚えてる人はいるだろうか、100日後に死ぬワニ。すでに記憶から風化しつつある人も多いのではないか

あのtwitter漫画は「善良な一市民の平凡な日常も、突然の死により断絶し得る」というテーマを、死の前日までの99日間、貫き通したものであった。

そんなワニに感情移入する者が多かったが故か、100日目の怒涛の広告展開に憤る者も多かった。

それが、恐らく後の日本の歴史分岐点として語られるであろう「3連休初日の話だ。

その時、既に欧米では「平凡な日常」が喪われつつあった。もしくは既に喪われていた。

にも関わらず、日本では「危機は去った」と言わんばかりに警戒を緩める者が大勢いた。大規模興行も行われた。

水面下では帰国者による感染拡大が急速に進んでいたにも関わらず、だ。

今ようやく我々も「平凡な日常」の崩壊危機に瀕していることを悟ろうとしている。来週には「3連休」の結果が出ることだろう。

そんな状況では「善良な一市民の平凡な日常も、突然の死により断絶し得る」というメッセージのもの意味を成さなくなる。

大前提の「平凡な日常」そのものが全て崩壊するのだから

から、100日後に死ぬワニの広告展開は、一刻一秒を争うものだったのではないか

泡沫の夢のような小康状態の「3連休初日、皆がまだ「平凡な日常」が続くと当たり前に信じていたあのタイミングを逃すと、日常崩壊悲鳴広告の声も掻き消されていたのではないだろうか。

例え幾ばくかでも人々の記憶に残すためには、あのタイミングしかなかったのかもしれない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん