昔話が好きかどうかではなくて、そういう考え方が好きですか?という意味で。
いつも知識のブラッシュアップに余念のないはてなーの皆さんは、よくそれについていけなくなった人に引退を勧告しているように思います。
引退した人をどうするおつもりなのでしょうか?
職員さんは家庭を持っているのでしょうか?
仕事として他のお家でケアできなくなった高齢者をケアしたあとに家ではどんな生活を?
まさかとは思いますが、家にも手のかかるご家族がいて勤務時間外に見ているということはないですよね?
それとも専門に扱っているくらいの人だから仕事と家庭と両方しっかりやっていっても崩壊するような心配はない?
ではどんな形が相応しいのでしょうか?
考えてもよくわからんのですよ。
聞いている場所がまだ現役バリバリの人ばかりの場所だから想像しにくいかもしれませんが…
ただ私は誰にでも手厚く当たれないならいちばん大事な人を最優先にしてそれ以外の家族には目をつぶってもらうというのが苦手でね。
仕方ないからそれぞれの人に平均してできる限りのことをやってあげて、対象者が増えないように考えるかな。
子供を安易に作らないことで目配りしなくちゃいけない人を増やさない。
それぞれの実家は年金その他があってある程度の暮らしができるだろうから、たまに顔を出して様子を確認して、あとは自由にやってもらう。
ただ周りを見ていると家族の一部の人に対して家の中でも外でも悪態をついて心のバランスをとっている人が結構いるみたいでね。
ああこれはストレスのかかった現場に起きるいじめの構図そのものだな、と思うんだけれど、
やっている人は家庭で一番弱いものを中心において生活しないと弱すぎて死んでしまうから仕方ない、いや当たり前のことなんで、そちらから文句が出ても気にしないなんてことになるみたいで…
これは正解のないなにかなのかもしれない。
でも姥捨山におじいさん、おばあさんを捨てに行く考え方がとても嫌いなので悩み続けてます。
はてなーの皆さんは頭がいいのだと常に仰ってますから答えをお持ちなのかもしれない。
お知恵を拝借できませんかね?
それが山窩だったのではという気はしている