厳しい両親だったので塾には行かせてもらえなかった。学習塾には中3の秋からようやく通わせてもらえて、頑張った高校受験でたまたま偏差値の高い学校に進めたからか、もしくは父親は塾に頼らず大学に合格していたのも「受験に予備校は不要」と錯覚させた要因なのかもしれない。いずれにせよ、人生の方向性を大きく決めるであろう大学受験にはノーガードで挑む他無かった。
私の親戚は1人を除いて極めて優秀な大学を出ており、両親は当然私も自身のような大学に入るものだと思っていたらしい。両親が受験代を出してくれるのは二校(国立と私立のみ)だった。何校も受験している同期が本当に羨ましかった。
結果、両方とも落ちて浪人が決まった。出身校がそこそこ優秀だったから授業料は相当安くなったが両親は激怒し、自分で授業料を払えと行ってきた。この一年勉強するだけで人生は変わるのに、勘当されかねないので仕方なく予備校近くのうどん屋でバイトを始めた。毎朝6時過ぎに家を出て18時まで勉強し、22時まで働いて家に着くのは0時過ぎ。バイトは週5日。
死ぬほど頑張って働いた金は親は全て取り上げられ、昼飯はトップバリューブランドのカロリーメイトの偽物と冷水機の水のみ。必死で勉強し、夏休みの猛勉強のおかげで駿台の偏差値は58から65に伸びたが秋口にとうとう気持ちが切れた。3日ほど寝込んだか親は知らんぷりで、今月のバイト代はどうなるとばかり聞いてくるので半ば絶望しながらバイトへ向かった。
年も暮れつつある12月、私は親から大学の受験料は出さないとの通告を受けた。本気で死を考えたが亡くなった祖父の遺してくれた金を使って3校受験した。入試の2日前までバイトを入れて体力は限界に近かった。結果、滑り止め以外全落ちした。親は激怒した。何度も殴られて部屋はひっくり返され、散々な目にあった。
幸い大学は特待生だったので授業料はほぼゼロ。学生支援機構から金を借りて入学金を振り込み、本当に辛い浪人生活は終わりを迎えた。
いざ振り返ってみると、私以外の従兄弟たち4人は皆東大、東工大に進んだ。彼らは高校一年の頃から予備校に通っていた。本当に親が憎かった。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだ。