メンタルのクリニックにわりと長いこと通院していて、こないだ新年最初の診察があった。
いつも診てもらっている先生に「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」と言われて、「こちらこそ今年もよろしくお願いします」と思わず返してしまった。
帰り道でそれを思い出してもやもやしてきた。
こちらとしてはなるべく早く治って先生とお別れしたい。医師と患者の関係で「今年もよろしくお願いします」は、単なる社交辞令でもふさわしくないのではと思ったんだ。
物書きになりたいと思っていた。
と言っても将来の夢だとかそんな大げさなものじゃない。俺は今まで短編小説やエッセイの一つも書き上げたことがないし、それについて勉強したこともない。ただたまにこうしてネットの片隅に下らない文章をアップロードしているだけだ。何故物書きになりたかったのか、それは思春期の頃文学少年気取りだったからかもしれないし、テキストサイト世代だったからかもしれない。あるいは文章を書くことで何かに辿り着こうとしているのかもしれない。一つだけ確かなことは、こうして文章を書く時は大抵ひどく精神的に不安定な時だということだ。
こういう時に文章を書くと何だか落ち着ける気がする。経験上それは気がするだけであって何の効果も生まないのだけれど、それでも書いている間だけはそのことに集中できる。きっと生まれる時代が20年遅かったら、俺はとてつもなく恥ずかしいラブレターを量産していたことだろう。そういう意味では手紙という文化のすたれたこのネット社会に感謝しなくてはならない。
ここまで読んでくれた奇特な人がいれば、俺に物書きの才能がないことはわかると思う。それは俺もとっくに理解している。でも今でもたまにそういう人生があったらいいなと思うのだ。一人で都内の1LDKくらいの部屋に住み、適当な時間に起き、音楽を聞き、小説でも書いて、飽きたら酒を飲んで、気が向いたら女を抱く、そんな世間とはある種切り離された生活を送ることも、もし俺に才能があればできたかもしれない。
多分一種の逃避なのだろう。俺はひどく矮小で、つまらない人間で、つまらない生活を送っている。そう、つまらないのだ。つらくすらない。だから誰にでもできる書くという行為によって、自分が特別な存在になれる可能性を夢見ている。何も望まず、何者にもなれず、何も残せない俺の、最後の逃避なのだ。
俺はガソリンをかけられなかったし視察もされてない
姉ちゃんすごいな。
姉は昔から「お勉強」はできるけれど、世間知とか常識とかにはあまり聡くない、いわゆる天然なお嬢さんだった。
小学生くらいの頃から「医者になる」と公言していて、周囲もそれが当然と考えていた。頭がいいのもあったし、なにより勉強に関しては誰より律儀だった。
不真面目な学生だった俺はなんであそこまで毎日真面目に机に向かえるのだろう、と不思議だった。
彼女は県内でも一番といわれる高校(もともと男子校で、姉の入るタイミングくらいに共学化された)に進み、そこでもしゃかりきに勉強に励んだ。
成績も「医学部には普通に入れる」くらいをキープしていたらしい。
だが、落ちた。
姉は本気で悔しがっていた。
俺は「やはりお医者さんになるのは大変なんだな」くらいにしか思わなかった。
そうしてつつがなく医学部を卒業し、今では立派に医師として働いている。
世間の人もそう言うに違いない。頭の良い子どもが勉強をして医学部に合格し医者になる。なんのひっかかりもない。
でも、例の一連の入学試験性差別報道に触れ、その考えが間違っていたと知った。
姉は下手したら人生を潰されていたのだ。
十分な能力があるにも関わらず、夢を諦めることを強いられてかもしれないのだ。
高校時代の姉は(少なくとも俺からしたら)勉強ができた。ものすごくできた。でも「ものすごくできる」では足りなかった。
おそらく、姉と同等に成績が良かった同級生の男子たちは普通に現役で医学部に受かっていたことだろう。
そして、それに応えた。
姉は昔から俺のことをよく褒めてくれた。
彼女にはないアート方面の才能(もちろんさして大したものではない)を持っていた俺を「すごいね」と何度も讃えてくれた。姉としての欲目もあったかもしれないが、そういうことを素直に言うタイプでもあった。
一方で俺は姉をどこかで見下していた。姉ほど勉強ができなかったというコンプレックスが一番大きかったかもしれない。同じ中学に姉と入れ替わりで入学した年に、かつて姉を受け持っていた教師から「おまえはお姉さんほど頭良くないんだな」と蔑まれたのが不快な記憶として残っている。
そういう比較を拭いたくて、生活人としての姉のおっちょこちょいぶりやおっとりした性格を家族内のジョークとしてよくイジっていた。両親も「お姉ちゃんはそういう子だからねえ」と俺のイジりに乗っていた。母は「本当の意味で賢いのは○○(俺)くんのような子なの」とよく俺を贔屓にした。
姉からすれば俺は親の寵愛をいいことに暴君のように振る舞うわがままなクソガキ、という印象だったかもしれない。
でも、仮にそう考えていたとしても、それを口に出すようなことは絶対になかった。いつでもやさしかった。
俺の制作物を「すごいね」と褒めて、友だちにまで自慢していた。うちの弟はすごいんだよ。
今ならわかる。
本当にすごいのは姉のほうだった。
俺が現在所属している業界にも性差があることは否定できない。自分が男であることが陰に陽に有利に働いていたんだな、という場面は思い出すだにいくつかある。
自分の業界で生き延びるのは大変だという自負があり、それに比べると医者は安泰でよろしゅうございますね、というようないじけがどこかにあった。
姉にとっては安泰でもなんでもなかった。俺よりよっぽど激しい戦場で戦い抜いてきたのだ。
あの一浪が二浪になり、二浪が三浪になったら、姉の人生はどうなっていただろう。
姉が医学部に合格したとき、母親が親戚だか誰だかに「先生はもう一浪したら絶対(当初の姉の志望だった)国立もいける、っていうんだけど、本人が絶対受かったところに入学したいっていうから……浪人がよほどイヤだったんだろうね」と漏らしていたのを思い出す。
姉は知っていたのだ。
どの程度までかはわからないが、医学部入試のからくりを知りながら、それでもなお試験に挑んでいた。
俺には無理だ。
謝りたくなった。
知らなくてごめんなさい。
わからなくてごめんなさい。
でも、姉にしてみたら謝られたところで意味不明だろう。
他人からしたらそれでも全部話して謝ればいいだろ、と思うかもしれないが、
俺と姉はそういう「真剣な人生の話」を語り合ったことは一度もない。
姉弟仲は悪くなくて、むしろ良いほうだと思うのだけど……わかるかな、とにかく「そういう話」はしない間柄だ。
だから、できない。
そうかも、オマエモナー。
ホーケーで悪かったな!
ぐえー死んだンゴ
元々はいてなかったやん
言えないこと全部〜
あー教えて先生さん♪
https://ch.nicovideo.jp/dafila/blomaga/ar1853781
わかりみが深い
2019秋イベ(失笑)が終わった時点で未だアクティブ14万くらいいるらしいが、コンコルド効果で辞めそびれて残ってる人はどれくらいいるんだろうか