俺は多分この増田よりちょっとだけ歳が上。あの頃俺は大阪北部で暮していたけど、あの日の記憶が薄れるなんてことはないよな。
俺は当時箕面市の南の方に住んでいた。国道171号線(通称イナイチ……京都方面から大阪北部を経由して神戸方面に至る、東西に走る道)沿いだったけど、この国道に並走するかたちで、あの地震の震源になった六甲・淡路島断層帯が走っていて、今見返してみると丁度国道と断層の間に挟まれるようなところだった。まあ、そのせいか……揺れましたよ。幸い家が倒壊することはなかったけれど、大学に復旧作業に行って、さあ家に帰ろうとイナイチに出たら、神戸方面行きの車線が全てクルマで埋めつくされていた。沿道のコンビニには食べ物はひとつもなくて、コンビニが何とか提供しようとしたカップヌードルのケースの段ボールトレイが山のように積まれていた。あの晩、結局何も食べられなかったが、そんなことは何も気にならなかった。というか、そんな位で気にしようなんて、とうてい考えられなくて、水をたらふく飲んで寝たのだった。
それから2年位経って、当時の彼女のクルマで六甲アイランドに行った。あそこ、大きな遊園地(AOIAってのがありましてね)あったよね、今どうなっているんだろう、って。甘かったよ。遊園地のあった筈の敷地に着いたら、おそらく液状化現象が起きて、その後舗装を全て剥ぎ取ったらしい赤い土の見える広大な土地。そこに縦横一面に仮設住宅が建ち並んでいた。あの光景はもう一生忘れられない。言葉もなく大阪に戻ったよ。
その灰色の猫は夏ごろから僕らの寮に住んでいた。 エアコンもない居室のドアは、いつも開けっ放しだし、24時間誰かが起きていて誰かが起きていたから 気が向いた部屋に入っては、...
anond:20200118002943 俺は多分この増田よりちょっとだけ歳が上。あの頃俺は大阪北部で暮していたけど、あの日の記憶が薄れるなんてことはないよな。 俺は当時箕面市の南の方に住んでい...
毎年小学校でこの時期歌ってた「地震にも負けない、強い心を持って~」みたいな曲が脳内で流れたわ こんなとこじゃなくてnoteにでも書いたらいいのに
著者紹介 1943 年生 77歳の増田
タロウちゃん...