俺にはそれが最近の男女の対立の根幹のように見えるので、それについてまとめてみたいと思う。
異性を誘う、デートプランを考える、プロポーズするといった役割は、男性側がやるものという暗黙の了解がある。
実際こちらが興味ない相手でも、周りから「向こうは気があるみたいだよ。こういうのは男性側から言ってあげなよ。」と煽られたこともある。
もちろん全てがそうとは言えないから、あくまで「男性側が能動側を期待されることが多い」ってぐらいで捉えてほしい。
男性がデートプランを考えたとして、女性が「つまらないデートだった」っていうと楽しませることができなかった男性の問題になる。
一方で男性が「つまらないデートだった」といったら、お前がいうなってなるよな。
行動の正解は受動側の受け取り方次第で変わってくる。
タイミングだけでも「いきなりでびっくりした」「ずっと待ってたのに遅すぎる」「まだ気持ちがのってない」など、あらゆる選択肢の中から針を通すように正解を探さないといけない。
そのため能動側は受動側の気持ちを汲んで行動を起こす必要がある。
そして雑に言えばそれができない能動側はモテないし、気持ち悪がられる。
ただ悪い能動側が目立ちやすいけど、一方で「悪い受動側」もいると思う。
何をしても文句を言って、「もう誘いたくない」と思われるようなタイプだ。
自分の不満を他者にぶつけてアイデンティティを保ってる人とも捉えられるかもしれない。
「私が◯なのは親が悪い」とか「政府のせいで俺が貧乏なんだ」とか、受け手の立場を言い訳に利用するわけだ。
で、オタクvsツイフェミの対立が悪い能動側、悪い受動側の対立に見えてくるんだよな。
特に石川優実VS青識亜論の討論会で、観客から見たら石川優実は能動側なのに、受動側のスタンスで不満を言うだけだったのが気になった。
身の回りでも、男女間対立のほとんどはこの能動と受動の問題に捉え直すことができると思う。
俺としては、行動を起こしやすい社会に向かうべきだと考えてる。
受動側が文句を言う構造が過激化すると、誰も能動側に回らなくなるよな。
会社でも、「俺は失敗すると思ってた」「失敗したらお前の責任」と言う人が無数にいると、誰も挑戦しなくなる。
行動を起こすのはよりエネルギーがいることだから、極力そのポジショニングをしたくないんだよ。
特に良い能動側になるには修練も必要なので、批判を恐れて行動しなくなると、さらに良い能動側が減ると思うんだ。
で、社会学者の宮台真司さんが「中動態」という言葉を使って良いヒントをくれた。
昔は男女は街中で自然と目があって、どちらが誘うでもなく交際が始まったらしい。
つまりどちらが能動・受動という話ではなく、中動だったんだと。
実際に海外旅行でドミトリーに泊まったとき、白人男女が出会った瞬間に自然と2人で出ていって、そのまま夜帰ってこなかったことがあった。
そもそも「告白してから交際を始める」という文化自体がないみたいで、まさに中動的に男女関係が進んでいくらしい。
もしかしたら能動と受動にくっきり分けたがるのは現代日本人特有で、これが普通じゃないのかもしれない。
実際こちらが興味ない相手でも、周りから「向こうは気があるみたいだよ。こういうのは男性側から言ってあげなよ。」と煽られたこともある。 それ「相手も別に気はないけど周りが...