2019-12-28

でもどうこうしたいとも思わないんだなぁ

家って変だな〜と思う。

私は母親とその祖父母暮らしていて、父親という存在の事を全く知らない。顔も名前も知らない。「お父さんが〜」とかそういう話を聞く度になんか不思議な気分になるけどそれはまぁよくて、自分父親にはさしたる興味もない。知ろうとも思わないし、会いに行こうとも思わない。向こうも困るだろうし、新しい家庭とかもあるだろうし。知らない存在は知らないままの方がいいと思う。

私の家ではまず家族揃ってご飯を食べる文化がない。

夕飯の時間バラバラだし、朝に至っては同じ家に暮らしてるのに誰とも会わない。同じ屋根の下で、マンションみたいな暮らしをしている。ご飯を食べろとも言われないので今日の私の夕飯はそこら辺に買ってあったピザパンクラッカーだった。母親とは普通に仲がいいので母親の部屋でテレビ見ながら1人で食べた。

食育という言葉と縁遠いから、個食孤食だ。家族の温かみとかそういうものに真っ向から喧嘩を売る生活をしている。

まれてこの方、休日に揃って昼食を食べた記憶も無い。これでも小学生の頃は夏休みには家族旅行に行っていた。でもそれも私の従姉妹がいたからだと思う。彼女が忙しくなってからというもの旅行という言葉は出なくなった。反抗期というわけでもないような気がする。ほぼ関心がないというのが本当のところで、祖父母ももう私のことを諦めているんだと思う。

同じ家に暮らしているだけで家族だというならそうなんだろうけど、別に絆とかそういうものはない。

綺麗な言葉で言えばそれぞれの生活尊重しているということになるだろうし、あけすけに言えば誰も他人に興味を持っていない。本当に時々夕飯の時間が被ると内心めんどくさいと思っている。多分それは母親もそうで、揃って夕飯を食べなきゃいけないときの私と母の暗黙の了解は話を広げようとしないことだ。

面倒なのだ、老人が概ねそうなるように同じ話がループする。「○○さんが〜今日は〜……」知らないし。誰だそいつ。機嫌を損ねるような事をするのも面倒なので聞き流す。右から左にふわ〜っと。ひたすら目の前のブツを胃に流し込む作業。めんどうだからほっとこう、ってよくアイコンタクトしてる。

こうなった事に特に理由はないんだと思う。物心ついた時には、そういう風になっていた。疑問を抱いたこともない。

理想家族って、正しい家族の形ってなんなんだろう。多分、一生私とは縁がないんだろうな。同じ考え方ができるか、差異を認めて丁度いいぬるま湯みたいな場所を見つけられる人じゃないと一緒に暮らすこともできないと思う。ご飯の時くらい、とか言われても私は知らないからだ。家族の団欒とか言われても、揃ったら会話はほぼゼロから。私は、祖父母といるとなんだか緊張するのだ。下手なことを言ってはいけない自分のことを話すのは悪手、言いたいことは言わない。面倒を避けることに労力を割いた方がマシ。

なんだかよくわからなくなってきてしまったのでやめる。1人でクラッカー食べながら飲むお酒は美味しいしくっそ寒いベランダで吸う煙草もいいものだ。もしこの取り留めもない下手な文章を読んでくれた人がいたらありがとう文字にできて良かった。ばいばい。

  • 別に普通に仲良さそうじゃん テレビドラマの見すぎだしいいんじゃないの そのうち介護などの困ったことができたときにどうなるかは興味あるけど今から考えなくてもいいし

  • そういう家庭もごまんとあるよ。お互いそれを理想とする人と家族になればいいだけ。後ろめたいものでもないし、誇るものでもない、ただ一つの家族のかたちを踏襲すればいいじゃん...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん