性嫌悪とアセクシャルの関係は、「非モテ」とフィクトセクシャル の関係に似てると思う。
その関係は"等式"ではないし、性嫌悪かつアセクシャルな人もいればそうでない人もいるだろう。
一方で、自分の中の性嫌悪と向き合う中で、アセクシャルというアイデンティティに昇華することもあるだろう。それは自然なことだと思うし、悪いことでもないと思う。
そうすることで、「(普遍的な規範ではなくあくまで私的な)私の性嫌悪」とほどほどに付き合いながら、他人のセクシャリティも尊重できるようになると思う。
ちなみに私自身はフィクトセクシャルですが、その根底には私自身の性嫌悪の影響があると思っている。まあ人それぞれ色々あるだろう。
続き)二次元キャラクターには、そうした悲観や絶望から人間の心を救ってくれる力があります。容姿だけでなく、言葉や行動の中に、人間が恋焦がれるだけの魅力を備えていると思います。将来、AIやロボットも、人間を悲観や絶望から救い、多くの魅力を備えて、人間から好かれる事になるでしょう。— 近藤 顕彦【 ⋈ 】3日目(月)南ノ-14b (@akihikokondosk) December 20, 2019