2019-08-11

恋愛ムーとかほん怖とか

恋愛コンテンツを好きでいるけど恋愛という感情にであったことはない

それはムーを読んでる人やほん怖ファンの人たちとおなじような気持ちかもしれなくて、信じることと好きでいることは違っていても良いのかも、という話

ムーほん怖ファンも、事実だと思って読んでる(観てる)わけではなくても、「でももしかしたら…!」みたいな気持ちを持っているんじゃないかと思う。その気持ちわたし恋愛コンテンツを楽しんでいる時の気持ちにす〜〜〜〜ごく似ている

世の中の人たちって、エンターテイメントとしての恋愛が好きだよね

じゃなきゃ月9流行らなかったし、少女漫画なりBL二次創作流行らなかったし、ボーイミーツガールという言葉も生まれなかった

我々が目にしている恋愛コンテンツってすべからく美しい。関係性の帰結として成就する瞬間の多幸感といったらない

なんなら友達が誰某と付き合うことになるまでの過程を見守るだけでもやたらと楽しいし、学生の頃なんてみんながみんな誰かのこと好きだったりして人生楽しそうでいいな〜と思ってた

だけどわたしは今だに恋愛というものを知らないし今後も出会う予感もしてない

それは、ツチノコに会ったことはないし今後も会う予定はなかったり、幽霊に会ったことはないし今後も会う予定がないのと同じことなのだと思っている

恋愛というものを信じてないから見えないのか、本当に存在しないから見えないだけなのか知りたい

まあ実際問題恋愛とかものを実感として得ている人っているの???

フィクションで得た感情は入れないでほしい、それならわたしにもわかるから

恋愛体質の人に出会うと、わたしこそがツチノコだったのか???と思う、それなら一生探しても出会えないし

そういや何かの作品で、「みんな本当は愛なんてわからないくせに手に入れたもの必死に愛だと言い聞かせて自分を納得させて生きてる」みたいなことを言ってたんだけど、そういうのを聞いちゃうと、やっぱりわたしの考えてることは世の中的にも間違ってないのかも…と思ったりもする

何よりコンテンツとして主流になっているのが、非実在根拠のような気もする。ムーだってほん怖だって女性誌だって、触れられない世界からみんな欲しがるんだよね?だったら恋愛コンテンツもそうなんかなって思った

でも最近少女漫画の売れ行きが悪いとか、女性誌が売れないとか、月9視聴率悪いとかなんとかで、本当にツチノコになる日も遠くないのかもね

だって現にわたし恋愛をしてなくてもそれなりに楽しくやってて、愛とかいもの物語を通して知っているし、体感することはなくてもそれが大事なことだと知っている

問題は、世の中が恋愛をもてはやさなくなってもなお、恋愛という概念存在しうるのかってこと

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