2019-07-16

それでも私は絶対絶対選挙行きたくない

普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくら典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。

私の選挙への嫌悪感は今に始まったものではない。

選挙権を与えられて初めての選挙ときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一中田考のせいだと思う。

特に外山恒一2007年東京都知事選政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。

とはいえ、私は国家転覆にもカリフ制再興にも特に興味がない。

イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。

消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。

投票とは、例えるなら祈りであると思っている。

私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。

しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰人間が唯一可能意思表示であり、一種の反射であるからだ。

そのような弱々しいものでも、数が集まれば話は変わってくる。

多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。

投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。

それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。

投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的判断を正しく下せるとは思えない。

しかしまノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。

私にとって選挙はこれくらいの認識だ。

さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。

顔出しアイコンインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者選挙へ行けと叫びだす。

選挙へ行かない人間非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。

こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。

選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。

単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党個人存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間選択委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。

いずれにせよ、棄権は一つの選択だと私は思う。

結果的にそれが自分不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義愚行権正当化したのではなかったか投票棄権することそれ自体社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。

もしあなた特定団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物マニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか

少なくとも私はそういう人間である選挙自体否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対選挙行きたくないと思う。

なぜ若者選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。

この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。

いつか私も「まあ大人だし選挙くらい行かないとダメだよね」などとぬけぬけと話すようになるのかもしれない。

この文章若気の至りとして恥じ入ることになるのかもしれないが、一応残しておく。

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