2019-07-11

手では書けない漢字でも、コンピューターならタイプして変換して表示することができる。便利な機能だが漢字をたくさん勉強してきた人間からすると面白くないこともある。

七夕短冊では小学校程度の漢字も満足に書けないやつが、自由研究で提出した印刷物には難しい漢字がずらずらと並んでいたりする。そうするとなんとなく内容も立派に見えてくる。冷静にぎん味すれば調べた内容がら列してあるだけで、考察意見もないというつまらないものだが、文字の分量が多いのでなんとなく、本当になんとなくなのだが、しっかりやっているなという印象を抱かせる。

外国人についても同じようなことがいえる。知り合いのブラジルまれのやつは、ことばは割と流ちょうな日本語を話すが、文字仮名簡単漢字しか読めない。だから彼女ノート仮名(とポルトガル語らしいのだがよくわからない)でとるし、彼女のために室内の掲示物も全てルビが振られている。そんな彼女も、Instagramでは漢字混じりで投稿しているのである(もう投稿後には自分で読めないのではないか?と密かに疑っている)。無論スマホ漢字変換機能を使っているからだ。ともあれ、そうするとが然イケてる感じになるわけだ。

私は割と漢字は得意な方だ。常用漢字は全て読めるし書けると思う。簡体字結構分かる。漢字が好きで勉強した部分もあるが、それなりに努力というか時間を費やして覚えたわけで、そこへ前述のような漢字変換を使い苦もなく書かれた整った文を見ると、何ともいえずもどかしいような気持ちになる。漢字変換がずるって訳じゃないと思ってはいても、ちょっと悔しいわけだ。

いっそのこと、皆が身の丈にあった漢字変換しかできなくなったらどうだろうかと妄想する。新聞テレビは、十分知識のある人たちが作っているのでほとんど変化はないだろう。では例えばTwitterFacebookはどうか。政治談義をしていても立けん民主党なっちゃったり、アイドル欅坂は本当に欅って読めなくて話がかみ合わなくなったり、阿鼻きょう喚だ。選挙だって大変だ。人名にも結構難しい漢字が出てくる。石破茂なんて、石ばしげるになってしまう。そうしたら、石ばし までが名字なのか?じゃあ下の名前ゲルなのか?みたいな誤解がきっとあちこちで起きてくる。混とんだ。

今度また投票があるようで、街角候補ポスターが貼られている。そのポスターでは不自然平仮名まじりで名前が書かれていたりすることから着想し、そんなことを考えてみました。

  • お大事に

  • これ本当よくわかる 俺は逆にぜんぜん書けなくてすごく助けられてる 手書きの時はスマホで漢字だして書いてる この恥について指摘してくれてありがたいと思う

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