2019-05-13

予習ができなくなった理由

小学校に上がりたてのころ、勉強が楽しくてしかたなかった。

保育園ではひらがなとか数字とかを書く練習を少しやったけど

教科書とかドリルとかはなくて、脳が覚えた知識以外を家に持ち帰ることができなかった。

小学校になって、教科書ドリルを手に入れた。

新しい知識がどんどん増えていくのが楽しくてしかたなくて、何度も読み返した。

そのうち読むだけじゃ物足りなくなって、やってみたいって思うようになった。

それで、ちょうど漢字ドリル宿題が出ていたから、言われたよりちょっと先の漢字までやってみようって思った。

でも学校の授業でもやるから、授業でやるときには消せばいいやって思って

例文を作るマス目のとこに、小さい字だけど考えた文を書いてた。

の子(耳が少し聞こえづらくて副担任付き)がやってたし、それは勧められていたから。

次の朝、宿題のページを開いて教室の長机の宿題提出スペースに置いた。

そしたら私の次に置きにきた子が大声で叫んだ。

「やったらあかんのにやってる!!」

宿題のページは見開きの右ページで、次の左ページに昨日書いた小さい字を見つけられた。

次々と人が集まって、袋叩きにされた。

習っていないところはやってはいけない。言いつけてやる。

早く消せ。他のページもやってるだろう。

習うまでは先のを読んだり調べたりしちゃいけない。

小心者な私は、大勢向かって何も言えずに、べそをかきながら全て消した。

監視され、みんなにちゃんと消えたかチェックをされ、許しをもらって再提出した。

早朝の、先生教室にいないとき出来事だったけど、誰かがそれを先生に言ったらしい。

担任は何も言わなかったが、先にやることはいいこと、悪いことじゃないと副担任が何度も言ってきた。

でもあの怖さを忘れることも乗り越えることもできずに、それっきり、先を勉強できなかった。

今となってはしょうもない、たった10分くらいの出来事だけど、小学校一年生のそんな記憶が頭から離れない。

予習をしようと思うと記憶が蘇る。

やってはいけない、やるべきじゃない、暗い気持ちとともに脳が警鐘を鳴らす。

結局、その後から高校生までの間で予習したのは片手で足りる数だった。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれない。

でも、私にとってはアラサーになっても忘れることができない辛い記憶ひとつだ。

  • 今日も女はくっっっっっっっっっっっっっっそどうでもいい幼少の記憶を掘り出して被害者ぶりっこ

  • ホームスクールとかの方が合っていたのかもしれませんね

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