痛ましい事故が起きると高齢者から免許を取り上げろという声が挙がる。
果たして、そうして声高に叫んでいる人の中で、どれくらいの人が実際に自分の両親に運転をやめるように伝えることができているのだろうか。
そんな父の運転をわたしも好きだったし、今のわたしの運転の見本になっているのは教習所の教官でも車好きの友人でもなく、紛れもなく父の運転だ。
そんな父に、わたしからもう運転はやめるように伝えたのは父が70のとき、5年前のことだ。
とっくに車を手放していた父は、こうしてお墓参りに行くときや年数回のゴルフや旅行に行くときにわたしの車に乗ってハンドルを握った。
毎年通る道、毎年変わらないはずの道が、その年は区画整理を兼ねた大きな工事が行われたことで、いままで見たことのない風景に変わっていた。
いつも使っていた道は閉鎖され、見知らぬ信号機に見知らぬ交差点ばかりだった。
それでも父ならば大丈夫だろうと、娘を脇に抱えてぼんやりと風景を眺めていた。
しかし、その時の父は違った。
今まで一度も見せたことのない様子で焦り、苛立ち、わたしがなにか言おうにも頭ごなしに遮り、運転そのものすら見たことがないほどに荒々しいものになってしまっていた。
極めつけは、道のど真ん中で急に停車して、クラクションが浴びせられる中での急なUターンだった。
ようやくの思いでお墓までたどり着いた頃には、母も見るからに苛立つし娘も泣き出すしで、さんざんな状況になっていた。
「わたしの運転だと不安かもしれないけど、帰りは代わろうか?」
一応進言してみたものの、父はそれをきっぱりと断った。
これ以上何かを言えば父を信用していないみたいになってしまう。父を傷つけてしまうような気がして、それ以上はわたしから何かをいうことはできなかった。
それからも、迷いがありながら、父がゴルフや旅行に出かけるときは快く車を貸し出した。
しかし、たまに同行する母からは、その度に曲がり角を間違って苛立つ父の話や、高速の出口を間違えて何故か母に強くあたる父の話を聞かされるばかりだった。
これ以上父に車を貸し続けていていいのだろうか。車を貸し出す度に迷いが募っていった。
そんな時、とうとう父が事故に巻き込まれたという連絡が警察から入った。
幸いながらもらい事故だった。
いざ迎えに行ってみると、父はただひたすらに如何に相手に非があって、如何に自分が悪くないかを繰り返した。
聞けば相手側の不注意による追突事故らしく、過失はほぼすべて向こう側にあるらしい。
思いもよらない父の一言に唖然としてしまった。その後も父の口から事故を起こして申し訳なかったという一言は最後まで聞くことはできなかった。
父が走行している間、事故を起こした相手は不安定な運転を繰り返していたらしい。
一昔前の父なら、そんな相手がいるなら絶対に近寄らないし、ましてやその車を後ろに背負うことなんて絶対にしなかったろう。
それなのに、ただひたすら相手が悪いと繰り返し言い続けている父を見ていることはただただ悲しくて辛かった。
それから程なくして、結局少しの持ち出しとともに新車に買い換えることになった。(くわしくはわからないが車軸が曲がっていた?とかいうことらしい)
「保険の種類が変わったことで、父が保険の対象外になってしまった。」
そのかわりに、父が車に乗りたいと言い出す前に今まで以上に両親を旅行に誘った。
出費や親のために使う休暇も増えたが、父が事故を起こすことに比べたら何でもないことに思えた。
ある時、隣に乗っている父が「老後は小さなスポーツカーで色々なところに出かけるのが夢だった」と独り言のように話し始めた。
父はまだ運転を諦めていない。
「それは素敵な夢だね。だけど、もしそれで娘と同じくらいの子供を事故に合わせてしまうようなことがあったらわたしはどうしていいかわからないな。」
父は一言「そうか」とだけ口にしただけだった。
高齢者による事故が起きれば、あのときの自分の判断は間違ってなかったと自分に言い聞かせる。
でも、ただ取り上げることを声高に叫び続けるだけではなく、それによって失われるものを埋めるための努力が本人以外にも必要なのだ。
そんなに自分を責めるようなことじゃない やるべきことをやっているだけだよ 誰かの人生を奪うよりよっぽどいいんだから
そんなに運転させたくないならぶん殴ってでも止めろよ。 そういうこれだけやってますアピールしても無駄だぞ。 まず縄で縛りつけて、悪霊でてけー!!父ちゃんから出てけー!!!っ...
本人が納得しているのなら良いのでは。 今は運転免許の自主返納制度があるから、ある時点で返納して貰えば良い。その際、本人が自主的に返納する気になるようにして、返納の際は「...