2019-03-29

anond:20190329124553

尋牛 - 仏性象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況[1]。人には仏性本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別世界に陥って仏性から遠ざかる[1]。

見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別世界からはまだ逃れられない[1]。

見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位[8]。

得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます[1]。

牧牛 - 本性を得たならばそこから真実世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要[1]。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる[1]。

騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない[1]。

忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる[1]。

人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる[1]。忘れるということもなくなる世界[1]。

返本還源 - 何もない清浄無垢世界からは、ありのまま世界が目に入る[1]。

入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益[1]。再び世俗世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある[1]。

記事への反応 -
  • 十牛図とは、悟るまでの段階を牛を探す旅に例えて10枚の図と詩で表したもの。

    • 尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況[1]。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる[1]...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん