もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。
(することになった,というのは,したくてしたわけではないからである。)
人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。
どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。
そのとき,書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。
これは遠い昔の一受験生の出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。
時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。
大事な試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。
人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。
その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。
なお,前提として,私は小中高と地方の公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。
高校時代は部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。
それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生初のものだった。
第一志望しか受験していなかったので,選択の余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止めで合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。
それくらい,浪人するということについて,落胆していた。
同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくとももう一年,いろんなものを我慢して勉強に向かう生活を余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。
ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまったことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。
現役で大学生になる身近な同級生を想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまったことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。
今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。
またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。
そうだとすれば,まだコントロール可能な範疇に属している,未来を変えることで,過去の出来事の意味合いを変化させるしかないのではないか。
来年の合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。
期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか。
以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。
再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実に合格できなければ全く意味がない。
このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。
目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。
自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。
そうなるためにはどうしたらいいのか。
受験において,本番で出題される試験問題そのものはコントロールできない。
自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。
そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分の順位としては,一定の幅が生じると想定した。
自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置が自分の実力を示していることになる。
受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることである。そもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。
自分の実力を客観的に見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないかと分析した。
この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。
以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。
このようにイメージした。
次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。
ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。
それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。
先に述べたように,受験の本番では,試験問題はコントロールの範囲外である。受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験の現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである。
この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題で時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。
また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。
これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。
受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率で得点につなげられるようにしておかなければならない。
その観点から,模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。
知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである。
一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。
「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態は絶対に起こしてはならない。
そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。
その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。
以上は基本的に自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較の視点も生まれていた。
正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである。
自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから,試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。
このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単な問題でも意外と間違えてしまっているのである。
この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機を見出した思いがした。
とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。
難問というのは,どんな問題が出るかもわからないから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。
しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。
時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。
以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。
自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強(塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。
より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである。
知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである。
復習は徹底的に行うようにした。特に記憶が重要となる社会の科目などは,一日の勉強の最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。
具体的には,使っているノートを基準に最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間は一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。
ノートの最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。
これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。
そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。
当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。
以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。
これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要な試験だった。
「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学別模試で100位以内に入ることを目標としていた。
当時,志望学部の合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。
蓋を開けてみると,夏の大学別模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。
自分で定めた目標をクリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。
想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。
(それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)
しばらく経つと,もう一つの大学別模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分でもびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。
ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。
その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学別模試では13位と14位という結果だった。
受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。
予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。
合格を確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。
方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。
全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。
それを前提として,自分の浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。
まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。
何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。
「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験の優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。
それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。
「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である。
そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。
時間にしろ,エネルギーにしろ,資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態に自分を持っていくことが必要になる。
不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である。
自分の周りの環境は自分でコントロールすることはできないということをまざまざと体感した。
不合格を回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。
二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。
先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。
小中高と地方の公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。
自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベルの受験生を相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。
後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまりに想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。
当時,浪人時代は灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。
生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。
浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの